2026年6月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:6月21日(日)
  • 例会出席者:7名

宰相の六月

冒頭の「五行」ほどの書き出しは、七十九歳にしても、それが新宰相の年齢であることも、そのことに「驚いた」も、かれ、内閣書記官長迫水久恒氏には、もう帰る家はなかった。そのことにもしても、それは普通のことではないが、この時代柄としては、致し方のない苦しい時代だったのです。昭和二十年四月六日のことでした。昭和の戦争を無駄だといえば、無駄だったとはおもうけれど、父たちの世代が命を賭してたたかったのだから、なんとも、そこに「こたえ」はありません。宰相の六月があって、伍長の六月があって、二等兵の六月がある。故郷には、息子や夫の帰るのを待つ家族がいます。……「宰相」のようにはいきませんが、心意気です。

フィリピン人介護士ローレンが暮らした〝夢の国〟

フィリピンからきた介護士のローレンという実在した女性の視点でもって書かれた、小説です。と思いつつ、ローレンとアンジェリーナの関係がわかりづらいと感じました。もっとも、分かりづらく感じるなら、作者の井伊島剣司が作品に登場して、視点になっているのだと解釈してもよいのではないか、そのような作品かもしれないと思いもするのです。ローレンは作者が作り出したものかもしれません。作品全体に流れている、とても静かな大気を思わせる抱擁感、読んでいて、読むことによって、なぜか力を与えられているかのように感じられます。作者はとてもよい感性をお持ちなのですね。この作品にあるような活気が、いまでもあるのだろうか。だと、いいですね。

私にとっての「わたし」

作品にあるようなことを考えていたかなと、思い直してみると微妙です。今さらながら、いつのことだろうかと思うのですが、確かな記憶に辿り着くことはありません。あえて述べるとするなら、小学2年生の頃なのではないかと思います。その頃は、学校の成績がすごく悪くて、45人いる生徒の中で、おそらく43番か、44番か、まさかでありますが45番だったのではないかと思えます。学校で勉強するってことが、まるでわかっていませんでした。学校に行って、授業を我慢していると昼になって、母ちゃんが持たせてくれた弁当を食べる。クラスの友達、友達という言葉も知りませんでしたが、そこにいる、ことだけはできました。でも、学校は楽しかったです。みんながいます。

映画日記 72

改めて今回の作品タイトル等を見て、つくづく思ったのは、日本映画で、やくざ映画が極端に減少したのだな、ということです。それって、当たり前のことで、演じていた役者が年を重ねて、映画界から退かれたということなのでしょう。役者が年をとるということを、すっかり忘れていました。作品評価の★印5つが5作品あり、以前においても5作品前後でしたから、映画の水準自体は或る程度で収まっているのでしょう。横道に逸れますが、アラン・ドロンが好きです。人間の奥底にある冷たさを、無意識であるかのように、目の前に演じてくれるのは彼くらいなのではないかと思います。まあ、それにしても、彼の二枚目ぶりには嫉妬してしまいますけれど。

じいじの壺

原稿用紙で5枚くらいの作品なのでしょうか。短いのですが、なぜか、たっぷりと味わせてくれる作品でした。なぜタイトルが「じいじの壺」なのか、考えました。なぜなのか理由がわからず、投げ出したとき、その壺の方から答えが飛び出してきたのです。その飛び出し方は、書かれているように簡単ではなくて、とても難しいのでしょう。ところが、実践されてしまうなら、なんでもない言葉一つで為されてしまうのです。また、心を通じ合った者とは、この世とあの世であったとしても、いつものように、楽しく話し合える世界です。そんな難しい世界を2頁で書けてしまうなんて手品みたいですか、心のこもった作品には色んな不可能が可能になるのです。

遺作展

まるっきり、着物のことはわかりませんけれど、この作品を読み進めていくと、いつの間にか人の世の業のようものの中に絡めとられてしまいます。それは、作者の文体が持つ「力」なのではないかと、堪能させていただいた次第です。これまで、このような作品を読んだことがありませんので、びっくりした、というのが最初の感想でした。当初、戦後間もなくの作品なのかなと読みましたら、「全学連」などの言葉もあり、親近感を持ちました。短い作品なのに、4か所も行明けが入っているのもこの作品の特徴でしょう。そうした行明けが入ることによって、「時の切れ目」を意識させずに、過去のものとして循環させる「文体」なのかもと、たいへん堪能しました。

代行

うまく作品を読むことができませんでした。次から次へと物事の展開が進み、それが作品に置いてどんな意味をもつのかわからないまま、次から次への展開となり、作品の構造をうまく掴むことができなかったのです。そのように戸惑っていますと、作者名にあります多摩蘭坂28の「多摩蘭坂」という語の意味こそが主題なのではないかと思えてきました。一つ一つの「多摩蘭」「多摩蘭」を[代行]するのです。そんな風に思いますと、その「28」も随分と気になりました。こんな作品を28作品書いたのか。それとも28自体に意味があるのか。作品は末尾になるほどにテンヤワンヤしてきます。そうか、この作品のタイトル『代行』そういう意味だったのかと。なるほどです。