毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
作品を読み始めて、なぜか、読んでいるこちらを引き寄せるような作品の力があり、うまい書き手だなと感じさせられました。読みながら、ふっと、冒頭のページに帰って作者名を見たら、〈檜山隆史〉とあり、あれっ、ひやまさんの作品だったのかと、熟成した大人の作品(大学生なのですけれど)のように感じさせられました。ひやまさんって、いつも、いつまでも若いんだなと感心しました。それにしても、32歳で美人の大学の先生なんて、見たことがありません。若くて45歳前後でした。若かったからかもしれませんが、いつも何かが起こりそうなうきうきとした時代だったですね。
テレビを観ながら荒(すさむ)が、わめいていた。弟の純也が、いつも日曜日の朝に見ている番組だった。と作品の幕があがります。暴力が嫌いな兄の荒と、怪獣の暴力が好きな弟の純也なのです。「どうやら、あちら側から来たようです。こちら側の捨て子ではありませんから、このまま育てることも可能です」と意味深な展開なのですが、結末は、あれだけいじめられた弟なのに、兄を慕っていた。作品はとても面白かったのですが、どこかしらタイトルの「怪獣」の影が薄かったようにも感じました。兄と弟の確執みたいな描写があると、なお引き立つのではないかと感じました…。
いやいや、作者の作品は、作品を書く度に難解になっていきますね。今回は一番に難解でした。ある意味では、タイトルにある「意味」みたいなものを分かると、この作品の意味みたいなものがわかるのかもしれない。でも「その妄想とそっくりなものを」は理解できるのですが、続く「…送ったことがある」になると、もうつながりが見えず、さっぱりわからないのです。多次元的な世界 の構築なのかもしれないと思いつつ、タイトルの頭に「妄想」とあるのを見ると、意味はとにかくとして、別世界を「形」に構成した作品なのかも。だとすると、とても思考力の深い作品ですね。
この作品を目の前にして、ぼんやりと眺めていました。すると、作品感想とはまるで別次元の「意味」が、突然、頭の中に落ちてきました。秋ってさみしいものですが、そうではなくて、この詩は、それとはまったく別の物を「指さし」ています。「あきまじない」の母音が目に見えたのです。その母音は、「あい あい あい」です。「愛・愛・愛」なのです。秋の夜長を見つめるなんて、とてもロマンチックですね。この作品の感想文を書こうとして、とても難儀しました。なんの発想も浮かびませんでした。それが「愛 愛 愛」なんて、こんな感想文が思い浮かんで、うれしいです。
食べること/食べる人、と「食べる」を二方向からみると、なるほどと思わされ、考えさせられて、とても面白いです。作品は三段落ごとの話題になっていて、それぞれのお話がそれぞれに面白いのです。一話目で大食漢の「かよちゃん」、こんな自由奔放に振舞える女性って、すばらしいですね。二話目は、お母さん役をしているのが祖母で、お母さんは一家の働き手、なぜかしかめっ面をしている。三話目は、よくある話なのか、「食いつくし系」の話。食べてもよいものとか、食べてはいけないとかというのではなく、なんの理由もなく、在るものを食べてしまうこと。
作品を読んで、『夢喰らう男の独りごつ』というタイトルがピッタリな小説だな、と感じました。今回の作品では、〈知覧と無言館の狭間で〉ということで、無言館に辿り着いたところまでが書かれています。戦争と平和、私たちが考えなければならないことを、ただ見たものを通してそっと伝えてくるような書き方をされていて、なぜかしら共感させられます。書かれている文体は、いくぶん重たいものを、かなり端正に書かれていて、共感します。それにしても、教育関係に携わっている方なのに、上から目線なところがなく、人間を真っすぐに見られているのですから。素晴らしいです。
とても楽しい作品です。小学校、中学校、高校、大学と、その都度の「わたし」で、その書かれ方は実際には難しいのでしょうけれど、なんなく書かれているように見えるのがうまいなあと感じさせます。普通の書き方なのですが、その普通を書くのって、実はたいへんです。作品にあるような、その都度の〈小→中→高→大〉なのですが、体験と創作の合わさったものなのでしょうが、それを書けるって、すごいと思います。日常の世界を描いているようで、そこには抽象の世界があるのです。どことなく希望が見えてきます。
1、羊
コルシカ島の夏は空気が乾燥し熱く、川は干上がり、草木は枯れ、山火事が多発するとは、この作品に触れてびっくりさせられました。単に、地中海は一年を通して快適な地域なのではないかと、憧れていましたのに……。
2、ガイド犬
こんなに賢いガイド犬がいるものかと、思いつつ読みました。慣れた飼い主と飼い犬だったらわかるのですが、全くの他者同士の初めての出会いに置いて、これほど適切な振る舞いが、人間がではなく、犬側でできるものか、できるのですね。読み終わって感じたのは、犬にこれほどのことができるのなら、人間にはもっと「平和」なことができるのではないと思いつつ+、それができないのでから、……愕然といたします。
3、海の丸太
南太平洋タヒチは多くの島々からなる海洋国家で、フランスからは半独立状態。その島々の中のツアモツ諸群島群にムルロア島がある。戦後はフランスが核実験をやっていたところである。
ある朝、「標高三メートルほどの高台に登った時だった。大きな黒い丸太が二本、波に洗われながら浮いていた/なんか変だと思い、立ち止まってみていた」。それは親クジラと子クジラだったのです。それにしても、核実験場とクジラの親子との組み合わせは、作者にしてみれば忸怩たる思いだったことでしょう。