2025年8月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:8月17日(日)
  • 例会出席者:5名

 いち(一連)、に(二連)、さん(三連)、と……「弱い魚」である鰯(魚/弱)が、怖くてとても強い鮫に食べられてしまうのだという海の悲しいうた、情景です。「こんなに混むとは」「ふざけるな」と一匹の鰯が腹を立てたなら、それがよかったのか、わるかったのか、時間が過ぎて見なければわかりません。一連目には鰯の気ままな自由があり、こんなことになったのもすべて自己責任と、結果は明らかになりながら、二連目のありさまは、結局は不自由なことばかりです。この惨劇にものを言いたくも、逃げることにせいいっぱいで、なお逃げ切れず、鰯は、〈魚・弱い〉で、あっちでも、こっちでも、ぼくたちのお葬式の銀の欠片が舞い落ちています。

ファーストラン

 「じいじ」と「ミサキ」と「コウタ」の春の森林公園にての、不思議な体験です。おじいちゃんと、小学三年のコウタ、そしてお姉ちゃんのミサキで、ミサキとコウタは自転車に乗りました。ところが、コウタが迷子になってしまったのです。でも、ジイジがコウタを探し当てました。ジイジいわく、生まれたばかりのコウタからはじまって、きょう見た姿まで、ばっぱって、じいじの頭のスクリーンに次々にコウタが写ってたんだ…そのとき、実際にコウタが目の前にあらわれたのさ‥‥奇跡、だね」という、不思議なハッピーエンドの作品。じいじの頭の中に、ジイジの記憶しているコウタの映像が、次から次へと現れて、それが現在まで続き、コウタはすとんと現れたのです!!

身代わり

 すごい作品だと思った。すごい作品だけれど、意味がわかない。わからないけれど、どうしてもすごい作品なんだなと思える。生き物と物質。それが生き物と物質なのではなく、生き物なのに物であったり、物質なのだけれど生き物の涙を流したり、考えもすれば、ずっと空を見たまま突っ立っている。〈身代わり〉というタイトルの置き場所なく、蝉の抜け殻みたいにそこにあったりして、だから、ちゃんと存在してあり、いつだって「由見」ちゃんは知っているのだし、友だちです。だって、身代わりなんですよ。死なないポロっているのだろうか。ポロってだれだろう。おじいちゃんみたいだと感じるのだけれど、おじいちゃんではないかもしれない。わかるよね。

生きざま 3

 作者の空想力、発想力には脱帽です。作品を読み始めて最初は、戸惑いのようなものを感じました。それは、主要な登場人物がファーストネームで登場することです。「大輔」「大輝」です。考えて見て、私なりに理解しました。これは、自分の書いた作品が他者にしっかり伝わるためであり、未来のことを考えるなら「若者」がいかように生きられるかが大事で、読者をこの作品の中に入っていただいて、一緒に考えましょう、ということなのではないか思いました。長いこと、作品感想文を書いてきて、こんな感想文を書いたのは初めてのことで、目が覚めたような感じになりました。主人公の「軸」と「輝」は、これを主軸にしたところの弁証法なのかもしれません。

募金 1

 とても「納得」のできるというか、ある言葉、あった言葉、その感触等々が、そこに、つまり作品・作中にポンと、まるで空中に浮いているような感覚を持たせてくれている作品なのだなと、作者の独特な感性には感心させられます。つまり、パソコンで打ち込むような感覚はなく、頭の中に「書いている」ような思いがします。その頭の中が、作者の頭と、読者の頭が「=」でつながるような感覚を持つのです。なかなか、難しい書き方でしょう。何回も、何回も書いて、辿り着くことのできた文体なのではないでしょうか。難しい書き方なのですが、おそらく作者は、そうは感じていないのかもしれません。「わたしの文体」、ただそう感じ、気軽に書いているのかも(?)。

夢喰らう男の独りごつ

 昭和23年生まれ、となりますと、心ゆすぶられるものがあります。ここに掲載された句に接するに、不思議な心持になるのです。歌の世界の深さや美しさに感動するとともに、歌の世界にはあるまじきような「絶望」をも同時に感じ、あとは、そこはかとなくなるのです。/「渥美清」と「高倉健」は、どちらも好きでした。それが不思議です。まったく別系統の映画なのに、寅さんを見ても、健さんを見ても、気づくと同じようにいつも涙を流して見ているのです。なぜ、寅さんや健さんのような映画がなくなってしまったのか、不思議でなりません。もしかすると、過剰過ぎて受け入れられなくなったのかもしれません。苦しいことばっかりで、それの耐性がなくなったのかも。

家出、その後の運勢3

 青天の霹靂とでもいうのか、作者が、作品に書かれているような苦労を積んだ人生を歩んできたとは、これまで、一度も想像してもいませんでした。思いますに、一人ではなかった、同じ境遇を共にする友人がいたために、くじけるところを互いに奮い立たせて、どうにか頑張られたのではないでしょうか。それにしても、いろんな体験をされたのですね。でも、もしかすると全部が創作かもしれず、何をどのようにコメントしたらよいのかわかりません。それにしても、申請もしないのに失業保険の通知がくるなんて、日本って、むかしからキチンとしたところだったのですね。むかしから、と言いましたが、髙橋さんとわたしの年齢は、あまり離れていないと思います。