2025年1月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:1月19日(日)
  • 例会出席者:7名

映画日記 68

 今回の映画日記の[★印評価の作品]は、51作品でした。「好き好き」の評価作品は、幸いにもゼロでした。★印2つの作品は、2作品です。ほっとする目安ともなる★印3つの作品は26作品と、もっとも数が大きかったです。★印4つの作品は17作品と、支持されました。さて★印5つの作品は6作品でした。微妙な感じを受けました。よいとか、わるいとかの思いとは別のことです。かつて、皆さんが映画を観ていたころ、★5つは、2つか、せいぜい3つでした。それが6作品だとは、異例のことだと気づきました。SKさんの応援の声の反映でしょう。映画っていいものですよね。

水の街・プロローグ

 とても短い作品です。短いですけれど、なんとなく気持がいっぱいつまって、それがみんな水に吞み込まれてしまうような、そんな「気持」を書いた作品なのかなと、考えてみました。私は「ミク」です。その私であるミクはセーラー服を着た女子なのですが、そこに切迫感はありません。このような状況でも、みんな屋上に集まっているのです。最後の一行の「吐きそうな気持になって、ミクは空を見上げました」には、なんだか救われたような気持になりました。この一行って、なんだか、空に願いを唱えて居るように思えたからです。素直に、助けてと……。

故郷の空

 とてもすばらしい詩ですね。天草の島々の海上を/飛んでいる夢を見ていた、と詩を読み始めます。それは故郷の海であり、空であり、苦しかった生活の諸々です。思い出は、あれもこれもうまくいかないことばかりだったけれど、今、現在、ここで見る空は、青い/あおい/目に染む紺碧の秋の空 ― なのです。かつて見た空からは悲しいことばかりだったけれど、末尾の一行からは「ありがとう」の声が聞こえてくるような感じがいたします。子どもたちが生まれ、その子供からお孫さんが生まれ、その昔見た青空を見ています。きっと、その青空は、昔見た青空でもあるでしょう。

心中メガネ

 不思議な作品です。タイトルの『心中メガネ』ではメガネの方が主役なのではなく、いつのまにか眼鏡のフレームの方が主役になってしまうのです。いつの間にか、メガネのフレームに問題がすり替わってしまうのです。そうした謎に包まれつつ、作品の謎が謎のままになり、末尾の「ご愁傷様です」と「本物の心中メガネなら、かけさせたいのは自分でも相手でもない」との言い回し等々が、なおも謎を深めさせておわってしまいます。末尾の、「心中メガネなら、かけさせたいのは自分でも相手でもない」なら、もしかして、太宰のように、愛人のことなのだろうか。

ソングバードの恋 4

 なんとなく、ミュージカルのような作品だな、と感じました。この作品を読むと、歌って、踊って、思わず吐露をして、そうして次から次へと展開して行くテンポのよさに、宝塚歌劇をついつい思い出してしまったのです。その彼女は引退後、文筆家として活躍していましたけれど、……どうされているのか、時々思い出します。(彼女は、文藝学校での私の生徒でした)。ミュージカルというのは、夢と現実が思うままに表すことのできる藝術だと思います。この作品においての、行空けの部分と、散文的な部分との組み合わせは、確かに『ソングバードの恋』でしょう。

家出、その後の運勢 1

 すごく柔らかい文体になったように感じました。それに、若々しさが際立って光って見えます。それにしても、四人の大学生と、四人の女子高校生が、二か月間の夏休みを共に過ごすというのは、なかなかイメージできませんでした。共に過ごせたのは一週間くらいだったのかもしれませんね。この作品は、これから続くであろう長い人生の、花咲く、浮き浮きとした二か月間の夢の世界ですが、なんとなく、出来事は種々であれど、スリルに富んだ様々な体験が語られ、楽しませていただけるような気がします。冒頭で、若い文体だと書きましたけれど、ほんとに大学生みたいです。

五掌幻話

 とても奇抜な作品ですね。普通に作品は、物事の筋道に沿って「何事」かを開示して、読み手にわかってもらうよう努力するのですが、この作品ではそういうことがなく、次から次へと進むほどに、最初のこと、その次のこと、……と、一番目や二番目、考えもしないようなところへと落ちていってしまうのです。まあ、そうですね。一般的な読み物が「わかることを楽しむ」なら、この作品は「わからないことを楽しむ」ことをモットーとしているのでしょう。言葉自体の構造に踏み込まれるとトンチンカンになるのですけれど、それも、もしかすると【現代】なのかもしれません。

金魚坂異聞

 よくよく読んでみると、随分と怖い話なのではないかと思いますが、残念ながら、その前段階のところで合評会を迎えてしまいました。神楽坂とか金魚坂とかは、遠い昔といったらよいか、五十数年前の学生の頃に二回ほど行ったことがあります。確かに、車を運転しての行き来はたいへんでしょう。作品は、作者の言葉が読者に届くような文章ではなく、作品から読者に作品自体が届くような文体で書かれていて、うまいです。P102下段18行目の「わたし、あなたに貸しがあるようです」が、なんとく、この作品の核になるのではないかと思われます。ぜひ、文学賞に応募しましょう。

右隣の彼女 3

 作品が「のってきた」というのか、面白いです。子供の頃、いろいろと考えていて、その考えていることを紙に書いてみようとしたら、頭にその文字は浮かぶのに、書こうとすると何も思い浮かばない、ということを何度か体験したことがありますが、まさに、この作品の冒頭にある「あああああ、いいいいい、ううううう、えええええ、おおおおお」です。そして、つまり、野宮さんは部屋から姿を消し、喫茶店「かわべり」もなくなった、のですが、ただ『右隣の彼女 3』はあるのです。とても刺激的な作品ですね。いろいろな「もの」の描写があり、手ごたえ、喪失感……。