毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
第二次世界大戦、その後半戦としての日米戦において、唯一の地上戦を戦った沖縄の惨事は、この作品を読むことによって随分と考えさせられました。タイトルにあるように、沖縄での戦いは『平和の礎』なのです。命で贖ったような、何か直接性がそこにはあるように感じます。沖縄戦と、東京大空襲との、どこか異なる戦争を感じるのですが、単に、作戦に携わった将軍たちの個性や状況によるものなのかもしれません。それにしても、作者の戦争、戦時、作戦、そうした諸々を分析する巧みさには圧倒されます。沖縄の決死な戦いには言葉もありません。この作品は次回に「つづく」として終わっています。なんとなく新しい目覚めがあるような感じがするのですけれど、さて、何かです。平和の礎が、真の平和の礎であるための一歩が始まるのかなと期待しています。
すごく冒険をしている作品かなと思いました。大阪城を挟んでの豊臣か徳川かの時代に、そうした流れとは別の流れが出来た、またはあったように、不思議な節理みたいな行動をあちこちでやっているのです。テレビでみたのですが、どの国も、アフリカもアジアも、西洋諸国の植民地になってしまったのに、なぜ日本だけが独立できていたのかという問題に対しての回答が、日本と戦争をやると負けてしまうからだと主張されていました。西洋の持つ鉄砲も大砲も、確かに持っていました。外国に対して野心を持てば、もしかすると日本はとんでもない国になっていたのかもしれません。この作品に書かれている日本は、とても気兼ねのないのんきな世界ふうですけれど、その根っこには「自由」があふれ、危険なものも…。まずまずはよかった歴史だったでしょう。
作者にしては理解しやすい作品を書いたのかと読み進めていくと、あにはからんや、これまでの難解さに拍車がかかったような作品です。その難解さの象徴は、こうちゃんの勤務する「図書館」です。近所には母が居て、父は亡くなっていて、母の新しい愛人との結婚話があり、妹一家と、…複雑です。不思議なのは、家族の情はちゃんとあるのに、その情を共有するつながりが、なんとなく希薄で、それって、図書館で隣同士の本が礼儀正しく収まっているのに、その平穏は完全な他者でしかすぎない、と相似しているのではないかと感じました。このように読んだのですけれど、もしかすると読み違えかもしれません。多少は当たっているとすれば、こんな難しい作品を読む人がいるだろうかと、危惧されます。日常を日常語で表現し、それが非日常というのは感動です。
あったかい作品ですね。「星のふる夜 一」を書かれて、今回は「星のふる夜 二」で、一へのお返しの章です。少しでもママに近づこうとの「山登り」です。ひわだ山、とは? どこにあるのかといぶかりましけれど、よくよく思い出すと40年くらい前に、同人誌・えんぴつ長屋の五人くらい面々と文学散歩をしたところだと、要所要所にて思い出しました。とてもよいところでした。パパと、娘のさきと、弟のそらと、かわいいペットのあとちゃん、後ほどのママ、この五人(?)の呼吸が絶妙です。この五人全員が視点人物となってひわだ山に、ママに会いにいくのです。ママは空の上からパパや、さきや、そらや、あとちゃんを迎えるのです。記憶違いをしていなければ、このころの時季の「きんちゃく田」には曼殊沙華が満開だったのではないでしょうか。
ここ最近の作者の作品を読むと、文体に完璧さがでてきていると感じます。おそらく集中力を駆使して書かれているのではないでしょうか。「文体」というものを考えさせられて、勉強になります。今回は六篇の小コーナーから成り立っていますが、最後の「千円札が落ちていた」について…。私は、よく落ちている財布や百円玉を拾います。百円玉ならネコババします。財布はきちんと交番に届けます。普通は、落とし主が現れると一割の謝礼をいただけるそうですが、頂いたことがありません。不思議です。ルールが変わったのかもしれません。子供の頃の節分の豆まきには、ひねりの中にお金が入っています。たくさん拾いました。ですが、すごい着想をしたのです。次の日の早朝に、寺社に行くと、拾われなかったおひねりが沢山落ちていて、沢山拾った記憶があります。
まるで季節のない、季節。この氷点下の極寒の雪の中の大地にて、早くもシジュウカラは巣箱の手入れをし、偵察を怠らず、これからの産卵や子育て、雛が無事に育つようにと、独り立ちをするお手伝いの大変さ、親鳥の愛情を見つめての応援歌です。もちろん、私はがんばったわ、という自負心でもあるでしょう。子供たちの行く末に気にかけての思いなのかもしれません。「何処から運んでくるのだろう/住み家をふわふわの絨毯に変身させて」の箇所には、ハッとさせられました。これは親鳥が、自分の羽毛を嘴で抜き、雛の為にと巣の中に敷き詰めた愛情なのではないでしょうか。愛情を注いで、ふ化した雛の一羽、一羽が元気に育つほど、親鳥にとってうれしいことはありません。自らの身を啄ばんでも…。でも巣立ちって、うれしいのですけれど、さみしくもありますね。
なかなか、意味のとれない作品でした。最初、横井風は、単に人間関係を図れない人なのかなと理解していましたけれど、どうも、それにしては破天荒すぎるし、その一方で執着しないところがあったりして、支離滅裂です。さんざん考えましたけれど、この作品を読み解くまでにはいたりませんでした。そのように諦めたら、ふっと、色が浮かび、この作中の絵画の会の名称が「あおぞら」で、横井風がいつも履いている「サンダル」が黄色だということに、思いがいくと、あれっ、と合点しました。もっとも、だからといって読み解いたとは、とても思われません。ウクライナの国旗は、確か、青色と黄色ですよね。とはいえ、とても、ウクライナの国旗がテーマだなんて言えません。まあ、とちくるった読み方をするものだと指摘してくだされば、ありがたいです。