毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
とてもいい詩ですね。……失望する事は沢山あるよ……すり抜けて行くものだよ 対面する者に正面から向き合い、ボロボロになるけれど/負けないで、泣くだけ泣いたら/素敵な出会いを求めよう と励ました短い詩作品なのではないかと思います。≪人間だもの≫ のタイトルも、この詩の場面をイメージすると、なんとなくですが、その通りだなあと納得できます。なんらかの失敗があったり、悲しいことがあったり、無為な日々を送っている時、そこに掛ける言葉はなかなかありません。当事者の目を見たり、腕をギュッと掴んだり、もしかしたら微小な笑顔だったりと…、何かしらのおもいを示すしかないのです。実際に作者は、そうした生き方をして、頑張って来られたように思います。作者の言葉は、そこに、届かせるところに届くでしょう。
〈pee〉って何だろう、〈poo〉って何だろうと読んで行きましたら、peeはおしっこ、pooはうんちということで、タイトルがおしっことうんちというのは前衛画並みの衝撃でした。まあ、可愛いですけれど…。それにしても二歳の息子さん。それに後から生まれた娘さんが三歳になったときのエピソード、とても面白いです。三歳にしてはしっかりしたお嬢さんなのですね。おしっこの場面を車のドアを使って見えなくする発想は、三歳児だとはとても思えません。おしっこの件も大笑いしましたけれど、息子さんと娘さんの、父親に似ている・母親に似ている、の取り合いは微笑ましいです。似ているも、似ていないも、歴然としていて、二人の間の子供なのですから、両方に似ているのでは? そんなことは百も承知のご夫婦なのだと思えます。
スーパーブルームーンかどうかわかりませんが、とても大きな美しい月を何回か見たことがあります。そんな時には、とても特別な気持になります。作者の『星のふる夜、その後』は、丁度、そんなときの「お月様」だったのではないでしょうか。さきとそら、サキッピとソラッピはお月様にお願いをするのです。トイプードルのあとちゃんもいます。パパが夜中に目を覚ますと、さきがだれかと話しているのです。ママとさきの会話が聞こえてきます。サキッピもソラッピもがんばるよとママと約束しているのが聞こえてきます。そして、青く色が変わったスーパームーンを背中で感じながら心の中で叫びます。「ママ、いろいろありがとう」と。とても美しい月夜の晩でした。でも、心の深くに見るお月様は、とてもやさしくささやくママそのものなのです。ありがとう……。
コロッケですね。さて何がコロッケなのか。冒頭のイベントハウスの舞台も、最初からコロッケぽいけれど、確定までにはいたらないでしょう。帰りの乗換駅で信号機が故障して電車が止まっており、ここからは歩くことにしました。一時間程の道程です。それなりの風景の中をくぐっていくと、母が知り合いのおばさんと一緒にいるのに出会ってしまいました。母から手渡されたのは黄金色のコロッケでした。家に着き、コロッケを冷蔵庫に入れようとすると珠音が「わたし、小腹がすいちゃったな」というのですが、この作品のタイトル『コロッケ』は、なにゆえタイトルなのかです。ポットという男も男爵も、なんとなく名前がコロッケ系です。それに衣子(包んでいる表皮)と珠音(包まれている実)で、二人してコロッケなのかと、頭の中が暴走してしまいました。
永井荷風は孤独だったと思うのですけれど、その自分の孤独感に向き合ったことがないのではないかと、駒本氏の『永井荷風』に接すると考えます。夏目漱石と比較すると、真逆な感性をお持ちだということがよくわかります。もっとも、荷風にしてみれば、自己主張が小説だと信じていたのでしょう。もっとも、荷風とはまるで異なったところにいた私ですが、一つだけ、「浅草ロック座」には何度か行っていますから、そこでの感覚はなんとか理解できます。タイトルに〈永井荷風 女性とお金〉とありますが、当初は、ここから何も感じませんでしたが、今になって、なるほどざっくばらんながら本質だなあと思います。実は、自傷行為を書く小説って人気ジャンルの一つです。その最初の作家なのかもしれません。友達にはなりたくありませんが、作品は読みたい作家です。
不思議な作品です。P88上段の7行目8行目にある文章など、その不思議の典型です。「まだこの町に親子三人で引越してくる前に、弟が少年のところにやってきて嬉しそうに言ったことがあった」を、普通の文章と捉えればその通りなのですが、よくよく理解しようとするならば、そこに論理性が消えてしまいます。「親子三人」という括りがあって、その親子は引越してきたのですが、その引越しの前と時制を構成し、「言ったことがあった」のです。古ぼけて捩じれたスプーン。というように、唐突なのです。私も聞いたことがあります。日本には5発か10発の原爆を落とすつもりだったと。戦争にもちゃんとした決まりがあって、民間人を殺戮しないと、国際法では決まっています。でも、どの戦争でも、そのことは守られていないのでから、人間なんていいかげんです。
タイトルの『日本、最後の日』が、作中でどのように展開されるのかどうか、どこかではぐらかされてしまったのか、読み進めて行ってもわかりませんでした。四苦八苦していると、行きつ・戻りつ、したおかげなのか、やっと少し見えてきました。作務衣姿の少女が妙に色っぽいですね。ということで、こちらはなんとなくわかりました。とても気持ちのよいことをしてくれる場所なのではないでしょうか。作者は楽しんで、読者がきつねに化かされたような思いになったら「せいこう」だと書かれたのかもしれません。でも宇宙の使者風に書かれると、あまりにもチンプンカンプになってしまい、作品への興味を損なってしまうのではないでしょうか。もっとも、最後までわからなかったのは「最後の日」の方でした。最後の時に手渡された意趣返しの手紙のことでしょうか。