2023年12月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:12月17日(日)
  • 例会出席者:13名

ソングバードの恋

 不思議な作品ですね。その不思議に感じるというのは、普通の視点で書くのではなく、外したところでの「流れ」みたいなものを制約にとんちゃくしないで書かれているからではないかと推察しました。タイトルがイメージできなかったので、かってに想像しました。『ソングバードの恋』とは彼女、という「私」の視点で、彼女の恋の流れのスケッチのようなものかと考えてみました。ほんとにお洒落な快楽だけの時間だったのに、反復というものは冷たいもので、いつしか‥‥なのですが、305頁下段の6行目の「今」に私はいます。永遠の若さと快楽のなかに身をおいたけれど、そのままの世界は変わってしまい、忘れて遠ざけたリアルな時間にあばかれてしまい、それは、やっぱり「僕と彼と彼女(わたし)」の世界で、彼が僕に言う「さよなら」という言葉を聞くのです。

平和(ピンフ)

 作者は麻雀のことをこれまでも何回か書かれていて、その都度、おもしろかったです。今回も、そんな感じで読みました。まずは、卓を囲んでの互いのやりとり、もちろんゲームの進行のあれこれなのですが、こうした卓を囲むってことが楽しいのです。そこに『きみきみ、勉強したまえよ。』(太宰治)とは、なんなのでしょうか、笑ってしまいました。私は麻雀屋を長いことやっていました。とは言っても、私の麻雀の実力は工藤さんと同じくらいか、もしかすると、弱いかもしれません。でも、東京都の大会で3回くらい、10位以内に入ったことがあります。要は、偶然を楽しむゲームなのです。工藤さんは麻雀大会であまり入賞しないようですね。でも、それは、上手い・下手の違いではないのです。人を押しのける、そうした気持ちがないからでしょう。優しすぎる……?

池と桜

 82行からなる長編詩です。それがどんな長さなのかといいますと、ほぼ人の一生の寿命(83歳)と同じくらいです。池に恋した桜が、池に倒れ込んだという顛末が、その物語であるかのように「視点の私」によって描かれていきます。池の水はいつまでも清らかな「水」のままです。ところが桜には「一生」というものがあって、老いて死ぬことがきまっています。死ぬのならずっと愛していた水に抱かれて逝きたいと願ったのでは……。と、そのように看取ったワタシの82行でありました。この作品は詩でありますから、詩なのですけれど、時に散文的でもあります。詩と散文で綴られるのも、この作品の場合にはとても有効でしょう。〈池と桜と「私〉なので、「私」が「池と桜」のように詩の世界に昇華するのはまだまだ先のことでしょう。

切り身

 立候補者は「ぼくらは、身を切ってがんばってきました」と言い、片や母と済子の二人は身を切っての生活に捨て置かれています。同じことを言っているのに、立候補者と済子の生活とは相いれないのです。公園の水道から水をペットボトルにいれて、食事を食べ、その水を飲むのですけれど、水のままなのがリアルです。水を沸かして、お茶をいれるのではなく、水を水のまま飲む貧困を現わしていて、作者の目線の鋭さを感じました。政治家は他者の身を削り、貧しい人は自らの身を削る。まあ、あたりまえのことですが、あたりまえのことではなく、みんなで幸せな生活を営もうというのが本筋なのに、いつの間にか、落ちこぼれるものは落ちこぼれてしまってもよい的な風潮に出来上がってしまっているのではないかと感じます。作者の社会の細部を見る目は確かです。

東尋坊水死体の謎―最終回

 原子力発電による発電等々は、日本において、それなりに安全に営まれていて、その点は合格点なのではないでしょうか。さて、です。作品は『プルトニウム増殖理論』なのです。その理論が破綻しているとの設定で始まったのが、この作品です。プルトニウムを燃やすと、その燃やしたプルトニウムよりも多くのプルトニウムを得ることができる、というのが『プルトニウム増殖理論』です。そうした夢物語にメスを入れたのが、今回の『東尋坊水死体の謎』でしょう。考えてみました。この作品のような状況・状態があったとして、果たして現実の成り行きはどのようになるのか。事件は解決しましたけれど、『プルトニウム増殖理論』は、残されたままです。とにかく、今回、恐い事件や世界を垣間見せ、形としては事件の解決で幕をおろせたことは幸いでした。

ぼくたちの奔走 15

 冒頭の導入において―高校生になった―、と幕を開けます。なんとなく、これまでの気兼ねのない入り方とは異なったような趣きがあります。大人になったというような感じでしょうか。性的なあれやこれやが挿入されているのも、高校生になった悩ましさみたいなものなのでしょう。夜、風呂に入って、素っ裸のまま家の周りを走ってもどるなんて衝動は、わからないけれど、なにか、わかるようなところもあります。文化祭の日の「ザイル一斉降下」は、私の中学の時に同級生だった友達も山岳部に入っていて、直に見学したことがあります。危ないことをやるものだなと驚いた記憶があります。71頁下段からの末尾のお母さんの描写と会話は、あまりにモダンなのでびっくりです。東京ということでしょう。高校、大学……結婚と、シリーズの続くのを期待しています。