2023年10月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:10月15日(日)
  • 例会出席者:6名

読書雑記54

 作者(エスケイ)さんが漫画を語るなんて、想像してもいませんでした。しかも1968年~1969年の小学館『週刊少年サンデー』、藤子・F・不二雄のSFマンガ『21エモン』と、遥か昔の情報にもかかわらず、イメージしますと、本棚の、今となっては見ることもなくなっているコーナーから、記憶定かでないのに、明瞭な記憶に蘇らせて、今、手に取っているかのようなコメントを伺っているがごとくです。どんな印刷物も大事にする。なかなかできることではありません。そのタイトル『宇宙人と付き合えば』は、多層的な意味合いを含んでいるのでは。宇宙人の話題の時、多くの人は、宇宙人、宇宙人と述べるけれど、直接知っている地球人のことは、宇宙人と別立てとして考えるのか、変な、論として、永遠の自己撞着の周囲でのあれやこれやで変です。

秋の枝

 すごいシュールな詩だなと感じました。こんな「詩」を、思いも考えもしないで声にすることができるととてもいいのですが……。落葉樹の私の一年、年輪一個分の「お話」を語ってくれています。小さい穴、大きな穴、普通なら木の葉の穴は虫たちによるものですけれど、それにとんちゃくせず、小さな穴はおちびの風さんの通り道、大きな穴にはお姉の風さんが通るのです。お兄の風さんも、毛虫さんのあけた穴も役に立ち、冷たい風が通るころには枯れ葉さんともお別れ。みんな土神様のところに行ければいいのだけれど(?)。敷石が…。来年も、春になったら、また、あなた達の歌を歌うわ。それを聞いたら、私の枝で遊びましょ。といった、とても独創的な視点で現わしています。みんながみんなの声をちゃんと聴き分けて、合唱しているのです。

マキシマリスト 3

 マキシマリストとは、とネットで検索しましたら、たくさんのお気に入りのアイテムに囲まれながら暮らす人、またはライフスタイル、とありました。それではと作品を読んで行くと、田井中の日常がうまく書かれていて、理に適った描写がなされています。思い人である甲本さんと、その男友達である薮田さん。ジョギングする僕は雨の降る日に、甲本さんの家の近くで会うのです。「女性は、甲本さんは、言う。」/「男性は、薮田さんは、言う。」この「甲本さん」と「薮田さん」の相合傘みたいな表記がとても印象的です。それでも僕はなぜか失望する、あるいは絶望するということにならないのです。素直に読むならば、僕は甲本さんにしか関心がないからで、藪本さんは視界にないということでしょう。そういう世界とは……。まだまだ続きます。

永井荷風 女性とお金  その8

 今回の永井荷風の『女性とお金』は、永井荷風が荷風でなくなったような、荷風の慶應義塾大学での大学教授然とした姿が描写されています。果たして何を教えていたのか、知りたいところです。夏目漱石などは、かなり分厚い『文学論』を残していますが、どのような授業だったのか興味が湧きます。大学教授の給料が高額だったとしても、芸者遊びを自由にできる程ではなかったのではないでしょうか。売れた部数の印税がいかほどだったのか、野暮な私は気が回ります。永井荷風に関して、どうしてもわからいない部分があります。芸者や町の女を愛するけれど、その女性の何を愛したのか、肝心なところは夜霧のようで見えません。もっとも、わからないほうがよいのであって、わかったなら、やけにドロドロしてしまうのかもしれません。次回が楽しみです。

しやわせなあみ

 とてもユニークな作品です。構造は単純なのですけれど、語られていく内容が特異なため、まるでシッチャカメッチャカなストーリーに読めて、かなり、シュールです。冒頭の… しあわせな/ぁに、 しあわせな/あみ、 しやわせ/さがし … が、怪しげな拝み屋、しかも市村亜未よりもずっと年下に見える「拝み屋」の呪文なのですが、じゅもんがじゅずつなぎになっていき、市村亜未、長田孝宏、隣りのクラスの名前もしらない「前上」、これら各自が各自のままに大騒動なのです。その核となっているのは、女王様のように振舞っている「市村亜未=しあわせな あみ」が、とてつもなくブスだってことで、喧嘩になりそうに、盛り上がっていたのに、長田と前上の間でトラブルに発展することもなく、それが、かえってシアワセ南無南無でシャンシャンでした。

ガラ

 ガラという、工事現場では見慣れた、ある種の象徴をとおして世代の移り変わりの模様を描いている小説です。ある時期から、それほど古いとは思われないような建物や住宅が解体されるようになりました。もったいないと考えるのですが、そのままの状態を継続するか、それとも解体するか、その計算をすると解体することの方にメリットがあるらしいのです。理屈上はです。広澤視点で書かれて行き、皆がみな、別々の仕事を担当しています。そのことが「解体」という仕事に完結していくのです。作品を読んで行くと、ガラ=人夫と思えてきて、「僕」のたくましさが引き立ちます。学生の頃、バイトといったら工事現場でした。日当に誘惑されてのことです。飯場に泊まりこむと、まるまる日当が手元に残るのです。高校生には辛いかも。冷静な一人称小説にガラの呻きが…。