2023年5月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:5月21日(日)
  • 例会出席者:8名

読書雑記53

 藤原新也という名前を久しぶりに見て、なんだかうれしいです。彼がテレビによく出ていたのは、もしかすると20年以上前のことではないかと思います。彼の写真が好きなのは、もしかしたら写真ではなく彼がそこにいるのを見ることが出来た、それが好きなのかもししれません。なぜそうなのか。普通の方が写真に撮ると、その取られた静物にしても動物にしても、人間にしても、「取られました」という事実があからさまに露見してしまい、あることはあるのですけれど、なんだか見たいものは何もないような感じになってしまうのです。ガンジス川の畔で死人の肉を食べる犬は、何千年も、何万年も前からそうしていたのであって、藤原新也のシャッターはそうした時間として切られるのです。文化と歴史を知らないカメラマンは、現代の時間の中からシャッターを切るのです。

歴史の始まり

 15列目の〈心臓が鼓動する音のように〉のフレーズが気になります。ついつい、心臓に何かを抱えているのかな、なんて心配してしまうのです。不思議なのは、その一行を除けば、とても明るい詩列が続いていて、〈僕らの時代は/…日々みたされる〉となるような道筋なのに…変調してしまうのです。タイトルが『歴史の始まり』となっています。歴史…の…始まり…です。ところが、「ポップコーンの味を忘れたら/君を思い出して」「二人の間に空いた/席に座るのは誰だろう」というように、『君を思い出す』『席に座るのは誰れ』のフレーズは、《歴史の始まり》というよりは、、失われたものの探索で、なんとなく馴染みのない世界のように感じられます。そのことは、末尾の「不規則に動くと/危ないのだ」によって、金縛りにあってしまいます。ウクライナ戦争のよう……。

人生とは

 とても心がみたされる詩ですね。詩の作品において、よい詩を書こうとつとめるのですが、これが意外と難しいことなのは、経験して、よく知っています。なぜ、うまく書けないのかは、今ではわかっていて、〈詩を書く〉ことよりは、褒められたり自慢したりすることのできる作品、つまり、芸術らしからぬ思惑をもってしまうと、うまく書けないのでしょう。作者は、そのような思惑ではなく、父母の仏壇だったり、お客さまを迎える玄関だったり、家族の集う居間だったり、そうした家族の生活に花を添える、詩という言葉の花を置くことによって、……つまり祈るのです。青葉の季節ですね。季節の中の青葉に、あまり気持を動かすことはなかったのですけれど、今年の青葉を見てうつくしいなあと感じました。そこに命があふれていると思うと美しいのです。

赤いイナズマ

 東京から京都に行かれて、それも息子さんが京都の大学に合格されたので、一人暮らしは心配だということで、自らも京都へ……。ところが、息子の領域に父親が出没したのではまずかろうというのでしょうか、赤いイナズマの相方は父ではなく大学生の息子です。息子ですけれど「僕」で、れっきとした古沢先輩の相方なのです。おそらくクイズにしても、学生生活においてもそうでしょう。想像の段階ですが、お二人、これから活躍されることを願っています。京都ですから、歴史の問題がふんだんにだされるのか、それとも京都大学ですから物理学の問題とかも…、難しいですからちょっとという感じになってしまいます。次号において、古沢先輩の多方面での活躍を期待しています。「赤い」「イナズマ」が天誅をくだすのではないかと、むんむんとした期待がふくらみます

運命計画書

 とてもおもしろいです。渦谷渉と音無朋子とが結ばれるのは、運命計画書に記載されていることで、渦谷にとっても、音無にとっても、すでに決定事項らしいです。作品は、宇宙の、原因から結果が生じるという法則から外れて、結果に向かって渦谷と音無の関係は、好き嫌いの感情が発芽する前から、引力で引き合っていくのです。作品の展開は、まずは渦谷が音無をパートナーとして認めるような展開になって、結末においては、「わたしもぉずっと好きだったんですよぉ、ウズさん」と、ハッピーエンドです。めでたしめでたし、「運命計画書」の威力や如何に、といった感じで、万有引力の法則を上回る力を発揮するのです。それと匹敵するかのごとく、作者の書く文章のめざましい進歩には驚きました。作品の中にグイグイと引きこむ文体で楽しませていただきました。

冬の一日

 作者の、ずいぶんとかわった作品だなと読みました。作者は自らが持つ文学的なテーマを書くことをメインにしつつ、そのテーマを書く自分がどこにいるかといった所在確認のために、子供のころのことを反復して書いています。今回の作品は、これまでの子供の頃の作品とは一線を劃しています。「絵を描くのが好きな少年」という以外は、おそらく新しい世界なのです。微妙な比較はできないのですけれど、まるっきり新興住宅街をモデルにした創作になっているでしょう。一つだけ一貫しているのは、絵を描く少年だったということです。文体も、そこから湧き上がるような書き方を抑えて、つとめて客観的に描写しています。漢字がいつもより多く感じられましたが、それは記憶が剥がれ落ちないようにするための手立てなのではないのかなあと類推してみました。 

こけつまろびつ、さて今日も 12

〈肝の据わらない母ちゃん業〉では、近隣で起こった集団による泥棒事件のアッと思うような出来事に出会いながら、とにかく直接の被害を受けなかっただけでも幸いでした。それにしても、さっそく警備保障会社からの営業がかかるとは、生き馬の目を抜くような世の中ですね。なおも母ちゃんの肝を震え上がらせたのは、消防庁のヘリからの、救助者落下のテレビニュースなのですが、息子さんのヘリコプターでないことを確かめるまで母ちゃんはハラハラドキドキです。テレビの画面にくぎ付けになった様が想像されます。〈「インプラント」の勧め〉は、確かにこのような世界なんだなと納得。歯医者さんは、虫歯の治療をそっちのけで、とにかく高額な治療を勧めます。〈置配の悲劇〉は、確かにシステムが整っていない場合などでは、いろいろな問題を招くことでしょう。