2023年03月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:3月19日(日)
  • 例会出席者:6名

約束 2

 『約束2』は、章題が〈通学列車〉のとおりに、修一が通う高校までの通学車内のあれこれが書かれています。これは、『約束1』での乳母車に乗った病院への通院の顛末が書かれていたのと相似形となっていて、何事かを暗示させているのです。しかも、小学生のときの中田病院で出会った赤い着物の少女と、通学車輌で乗り合わせた女子高生は似た顔立ちをしているという。偶然は重なっていき、その女子高生は吹奏楽部の友人である和之さんの妹であることまでわかってくる。彼女は城北高校の女生徒「サトコ」なのです。奇妙なことは続きます。さとこが同じ夢を何度も見るというのです。その夢の舞台となる病院は、赤い着物の少女が入院していた病院、中田病院を彷彿とさせる病院なのです。その「さとこ」が引越した先が、赤い着物の少女が死んだ仙台というのも…。

家族 5

 タイトルの「家族」が「家」・「族」に分離してしまい、うらめしく思えてくるような作品です。しかも、その状況は日々現実味を増して感じられるようになってくるのです。家族の快適さを求めて購入した家が、いつしか不良資産化していく事態となってしまい、資産だったものが負債になるのですから、解決策はどこにもありません。安らぎの中で余生を過ごそうと立てた住まいの計画も、日々の生活もままならなくなる寸前です。バブル崩壊後のゼロ成長は、経済成長が当たり前だった世代にとっては、地獄そのものです。団塊の世代の波が過ぎ、次の団塊ジュニアの波をやり過ごせたなら、なんとか落ち着くのかもしれませんが、団塊の世代がそのように考えても、なんの希望にもなりません。覚悟しなければなりません。新しい哲学が必要です。

永井荷風 女性とお金 その6

  冒頭に、「前号までのあらすじ」が置かれています。かなりの分量で、読むと永井荷風の『アメリカ物語』や『フランス物語』の粋が、かなり見事に抽出されています。そのことが多分に〈客観〉に寄って書かれているのも、作者の永井荷風論のなせる技でしょう。娼婦イデス、横浜正金銀行、渡仏願望、…好みは訳あり女だとなり、パリの町、セーヌ湖畔の風景が往路なら、田舎臭いロンドンからアジアのシンガポールへと、帰路の荷風の心持はセミの抜け殻のごとく憂鬱だったことでしょう。《永井荷風 女性とお金 その6》のところに差し掛かって気になるのは、永井荷風の文体に関してです。「その1」「その2」のころと比較すると、客観が深くなっていると感じられるのです。荷風が熟練の娼婦を好んだのは、それって母親を求めてのさすらいに思えてなりません。

ゆるりゆるりと 2

 二〇一八年に愛犬ぽちおは十二歳でした。そのぽちおは二〇二一年の三月には十五歳となり、二〇二二年の誕生日である三月十六日を迎えて十六歳になりました。不思議ですね。平均寿命は十歳から十二歳なのに、ぽちおは十六歳になっても元気なのです。ぽちおの長生きはなぜなのか、読んでいくと想像することができます。愛されたからです。家族に愛されて、その愛をぽちおは実感したのです。愛を実感すると、それを全身で受け止め、ぽちお自身も美紀子一家に心と体を屈託なく委ねることができたのではないでしょうか。作品の日付は二〇二二年三月一六日で終わっていますけれど、二〇二三年三月一六日になって、そこにぽちおが元気に十七歳を迎えられていたら、ホントに幸いなのですが…。作者のぽちおに捧げる愛情と、家族の一心同体振りが伝わってきます。

変種がもとの型から限りなく遠ざかる傾向について

 手帳に書き込まれたメモ書きをパラパラと捲ったり、捲り戻したりしながら、そのことを一文にまとめたような作品だなと感じました。そこでまずは、タイトルのコメントから始めなければならないでしょう。この「変種がもとの型から……」は、どういう意味なのかです。単純に述べると、梶田の野球選手であった頃の顛末、その妻・京子の美しさと浪費癖、視点人物であった自分・新聞記者からのエールなのですが、シュールレアリズム宣言ではありませんが、『ベットの上での鋏と新聞との出会い』(?)のように、シュールな出会いの人間模様です。梶田がコロッケパン屋の店主になっている挿話は、実際、シュールです。パンが梶田の手で、コロッケが野球ボールだと見立てるなら筋も通っていて、さもありなんです。文体に新味があり、構成の面白さは巧だなと思いました。 

青町の叔母と三角山の親友

 なかなか作品の構想みたいなものが読み取れない小説です。もしかすると構想を持たずに書き出した作品なのかもしれません。作業台を囲んで叔母(タエコ)と男と少年(僕)がいます。叔母があの人のことを罵る言葉を吐き続ける場面から幕は開きます。話題の舞台は「青町」なのですけれど、その悪態の的となっている青町から、叔母も、少年や少年の母親、また第三者的に登場している男も、おそらく全員が青町由来の生まれなのです。それに対置する三角山が登場します。青町から派生したのが三角山で、その関係は永久に続く円周率のようなものなのでしょう。少年と男の関係は、少年と叔母さんの関係のような身近なものではなく、男と叔母さんとの関係を踏まえての関係なので、他者であっての「親友」のようなものです。無から有が成される様が、哀愁を帯びて書かれてます。