2023年02月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:2月19日(日)
  • 例会出席者:7名

映画日記 62

 見ていない映画ばかりだと淋しいので、「私の映画鑑賞ベストスリー」を披露してみようと思います。一番から三番なのではなく、観た順番で取り上げることにします。ソビエト映画の『戦争と平和』は、映画とは思えないような迫力があって、おもわず引き込まれてしまいました。そうなると涙なしには見られなくなります。ピエールのセリフ、「ぼくが、今のぼくではなくて、もっと立派でちゃんとした男だったら、今、ここで、あなたに愛を乞います」。二番目は、『ある旅芸人一座の記録』でしょうか。画面からひかりをしぼり盗ったような暗いスクリーン。そして旅芸人一座の長い旅の最後は過酷です。三番目は『ゴッドファーザー』です。『パート3』で、バチカン銀行をマフィアが支配する結末でしたが、後に、それが映画ではなく現実だと知った時にはびっくりでした。

十月

 達観した詩だとおもいました。十月はふもとの十月ではなく、山の十月、十文字になった微妙なバランスにある一瞬の景色が描かれています。さてと、「雲ひとつない/紺碧の空」を見つめていると、「りんどうの花/秋桜/吾亦紅/山ホトトギス」を一瞬でも逃すまいと、遠くに目をやると、空中には銀ヤンマ/イトトンボ/アキアカネの乱舞‥‥。朝晩の寒さに彩りはじめた木の葉の、あと一週間もすると燃えるような景色となるのでしょう。静かな秋景色がなんともいえません。そうした鼓動をなんとなく感じさせてくれる詩です。冒頭の四行。次の二行。そうして五行。結びの三行で締めくくられています。秋の静かな賑わいを、直接的な表現ではなく、無音にて伝えているのかなと感じられてなりません。みごとなものです。

フランス外人部隊 完

 苛酷なフランス外人部隊のことを、20世紀の後半くらいまでにわたって書かれ、書き上げられたこと、おめでとうございます。そして、ありがとうございました。長編でしたので、坂本は、随分と読み間違えをしながら読んで来たのだなと痛感しております。よく考えてみればわかることを、今回、そして前回でもわからないで読んでいました。『坂出誠』のことをジョニーさん自身のことだと、ずっと、思って読んできてしまったのです。誠は作中で年齢を重ねていきますが、いやあ、それを書いているジョニーさんは若すぎるのではないかと、作品と現実とが混乱してしまいました。それでも、体験していない人間には、こんなリアルな描写はできないと信じ、ジョニーさんの外人部隊体験記として手に汗を握って読ませていただいたのです。

あるスリ

 作品の書き方が変わりましたね。新人なのに文体に変化が窺われ、実際、意外感がありました。それとは異なったことですが、タイトルと、そのタイトルの意味するものとが、微妙に作品と相関関係を成していて、だいぶ作品の構想を考えられたのかと、進歩のほどが作品から感じられたのです。ところで、魔少女とは誰なのか、拝み屋の娘のことなのか、区別がつきませんでした。そして、リップグロスを掏らなければならない女子高生も美少女ときています。ここまできて不思議なのは、リップグロスの『価値』です。普通に店で売っているグロスならば、危険を犯してまで掏るような代物ではないのではないか。ところが拝み屋の娘が絡むことによって、当の「掏り男」たる自分が警察に捕まることが、本当の目論見だったとは! グロスの女子高生も仲間だったのか?

チェーン

 208頁上段の4行目の「赤味を帯びた下弦の月」、209頁上段の後ろから5行目の「雨の日は気が滅入る」、そして210頁上段の9行目の「火曜の夜珍しく友人から電話があった」という手立てを経てから、作品の本筋へと入って行きます。それは、中学生だった時のクラスの同窓会なのですが、どうも、田島と橘美沙は会の常連で、汀涼介だけが初参加だったようです。もしかすると、このような設定は書きながら「筋道」が生じてくるがゆえの、そういった偶然の構成なのではないかとも取れます。小説は、どんな小説を書こうとするかで、随分と異なってきます。どんな風に書くかということは、「書きたいもの」ということです。人間のつながりのない、自分だけの世界を描くのも小説ですし、気がつかなかった人の温もりに助けられるのも小説です。

山野草ラリー

 爽快ですし、次から次へと繰り出す植物や花の名前に圧倒されました。高尾山かくあるべし、です。高尾山関係には色々な催しがあるでしょうから、〈山野草ラリー〉も、高尾山の各種あるプログラムの一つだと合点していました。ところがあとで作者に伺ったところによりますと、まったくの創作だとのことでした。驚きました。高尾山には、雨が降ったりすると思わぬ所に「沢」ができたりして、天気が回復してもジメジメしています。それゆえに、多種多様な植物が繁茂するのだろうと推察、想像をたくましくして読みましたのに、作者の〈創作〉だとは夢にも思いませんでした。何度も、何度も高尾山に登り、その体験が深い知識となって、この作品に現れたのではないでしょうか。『高尾周一』とは、少なくとも「週に一回」は、「高尾山」に登るとのネーミングだそうです。

十三不塔

 プーサンフトウとは、マージャンにある役満の一つです。大三元とか、国士無双とかは、そうした配碑に恵まれたならば挑戦してみるのですが、十三不塔は配碑で決まる役満ですから、挑戦する術はありません。作品の時代背景は、イギリスが覇権を握る前、ポルトガルが先陣を切っていた頃の話だと思いますし、なおかつ、書かれている重厚な世界は中国の司馬遷が記した史紀の世界を彷彿とさせる世界です。事実だけを記して、創作の入る余地を無くす、徹底したリアリズムで構成してあるでしょう。ですが、それは直ちに矛盾をはらんでしまいます。「電子計算機を用いて、電子的記号として写しとる」となると、プーサンフトウそのもののごとく、無縁な物事が無縁に連なっている世界の隣り合わせとなりますが、『時間と空間』を鉄筆で克服していくしかないのです。