2022年7月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:7月17日(日)
  • 例会出席者:7名

読書雑記50

  今回は詩人ということで、谷川俊太郎と吉増剛造と、ちょっと畑違いの感じのする若手詩人・野崎有以のことが紹介されています。谷川俊太郎は、他者が他者の言葉で谷川の詩を括って見せることに「抵抗」する、のだそうです。吉増剛造は小説嫌いで、「筋」を辿ることに嫌悪する、と書かれています。そのように書かれていますけれど、ちょっと変な感覚を持ちました。谷川の詩はこういうものだ、と決めつけられるのは拒んでいる谷川俊太郎は、誰にでもわかる詩を書かれています。吉増剛造はわがままな詩人なのではないだろうかと、この読書雑記を読んで感じました。存在して、消える言葉の瞬間を大切にしているのでしょう。野崎有以さんの『ソ連のおばさん』って、どんな詩集なのでしょうか。ソ連ですから、大分前の詩集のような気がします。なにしろウクライナとロシアの戦争中なのでから…。三人のことはあまり知りません。強いて言えば、吉増剛造が好きです。

映画日記60

 昨年の8月に骨折し、どうなるものかと心配していましたら、元気に復帰されて安心しました。そうした身体的異変があり、今回の〈映画日記〉はどのような対応が成されているのか、注目しました。映画館に足を運べない期間の映画日記の記載は、別の時期に見ていたのだけれど「映画日記」の中に披露しなかった作品をこの穴埋めとして掲載したのではないかと思いました。なんとなく他人行儀的にならんでいると感じたのです。また、その他の部分でも日記の書き方が少し変わったと思います。目で見てわかるのは、ずいぶんと記録するスペースに長短がついていると感じました。紙面を自分のために使ってしまうと、私が過去において観た好きな映画は、ソ連映画『戦争と平和』、アメリカ映画『ゴッドファーザー』、ギリシャ映画なのでしょうか『ある旅芸人一座の記録』(?)の三作品です。小説は「描写」が命だといいますが、映画には「その命」が溢れています。

空席の椅子

 [僕の存在を/忘れた日に/彼女がやってきて時が止まった]と、『空席の椅子』は書き出されています。いかようにも解釈することができる、ゆえに、意味深な書き出しとなっています。「僕の存在を/忘れた日に」とは、どのような状況なのでしようか。僕であることを僕が堅持してきたけれど、そうした執着も薄れて…忘れてしまった、というのが「僕」の状況でしょう。そこに「彼女がやってきた」のです。「彼女がやってきて時が止まった」のですが、この状況というのは、〈彼女と僕とがそこに二人している〉存在の明示です。そうしておいて、行替えすると、「彼女の席に、君はおらず、僕は亡霊のようになった影だけを見て、外の煙を眺めている」と、再び何もかもを失ってしまいますけれど、今回の作品は、結末において冒頭の場所に戻って明るく締め括られているでしょう。末尾の部分の描写を冬ととらずに、春の前触れととると、とてもほっとする作品です。

神楽木法性伝

 特異な仏僧の説く知見のごときものを、『神楽木法性の手記より』として伝えようとする必死の試み、みたいなものなのではないかと受け取りました。筋道がかなり複雑になっています。「昨秋、庵跡までの案内を引き受けてくれた例の人物は、法生について次のように…」とあるように、作品である『神楽木法性伝』としては、まだまだ長い「序章」の段階なのです。「脇道から更に脇道へ、遂には獣道にまで足を踏み入れた。……容赦なく流れる汗を拭い、激しく波打つ振幅を整えつつ、ようやく辿り着いた先に、目的のそれはあった」のですが、とりあえず「私」の視点はそこまでで、「ほうせいさん、ほうせいさん/ほうせい、ほうせい、ほうせいさん」の呼びかけに対して、当人である法性さん自身が手記の上で、「私はここでの暮らしに十分満足している」と吐露するのです。いくつもの人の層が積もり積もっていて、次の章を読まなければわからないでしょう。

深くて明るい場所

 この短編に登場するのは、父と祖父と、離婚した母ですが、母は離婚したとしてしか登場しません。それから、どのような存在なのかわかりませんけれど、明穂に「交代してみるかい」と提案するスーツの男の3人だけです。夏の農村の明るい風景(この風景から「私=明穂」と名付けられたのです)が広がっています。「そして、祖父も間もなくこの世を去ってしまう」のですが、実際に、何の断りもなくいなくなってしまいます。男の提案を「私」は承諾します。「交代」するのです。それは「私」と「私」の交代なのです。交代した5歳の少女が、60年が経って回想しているのがこの作品なのでしょう。そして、「私には、会いたい人がいる。その人とは、もう六十年間会っていない。……」の冒頭に、きっと、何度も何度もかえるのです。タイトルの『深くて明るい場所』とは、なんとなく素っ気ない感じがしますけれど、60年の間に見えてきた景色なのでしょう。私の自省。

東尋坊水死体の謎 3

 東尋坊にて青柳の水死体があがったことから、自殺か、他殺か、の推理が展開されて、自殺にしてはその理由が見当たらない、他殺にしてはその根拠がない、ということで、重苦しい重圧が家族の上にのしかかってきています。どうやら他殺以外に合理的な判断がつかない、という所まではきたのですが、確固とした手掛かりがつかめないのです。駅や東尋坊の観光地、商店街にあるすべての監視カメラをチェックして、まずは、青柳の映像を掘り起こさなければ、前に進めないのではないかと推測しました。でも、監視カメラのチェックにしても、権力の協力がなければ不可能なのではないかと思います。もちろん、核融合炉の秘密が暴露されるならば解決するのですけれど、かなり難しいかなと思います。東日本大震災の東京電力の四人の重役に対して、13兆数千億円の損害賠償の判決が東京地裁で出ましたけれど、実効性のない象徴的な判決なのでしょう。

小説・天女の章 ②

 たいへん興味を引く作品で、読み応えがありました。ですが、内容がいくぶん積み込みされすぎていて、次から次へとなりますと、ついつい納得できないまま作品の展開に引っ張られてしまいます。作者がいて、河合勇太郎と亜麻子がいて、この『小説・天女の章 ②』なのですから、どちらかと言えば、作者は河合勇太郎と亜麻子をサポートすればよいのではないかと思いました。琵琶湖周辺に住み着いた渡来の人達が村々や地域に分布している様の描写はさもありなんと大いに納得しますし、日本というものの成り立ちを勉強させられます。長野県の政治家で総理にもなられた秦氏がいますけれど、京都に行かれて、なるほど、わが家の家系は「秦氏」なのだと、テレビでいたく感動されていました。琵琶湖周辺だけでも、いろんな渡来人が住んでいたのだということが、歴史の厚みになっているように感じます。勇太郎と亜麻子は、もっと登場させて欲しいです。