毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
詩の揺るぎのない構成がよいのか、それとも、祖母とお孫さんとの手に取るような〈会話〉がよいのか、とにかく、あーあっ、よかったなあとうれしくなる作品です。お孫さんは、〈怒り〉や〈苦しみ〉を言葉で表現できるような、たぶん高校生か、その次の段階に進もうとしている娘さんなのではないかと想像されます。その祖母である作者からは、これもまた、なやましさとうれしさとが伝わってきます。大自然の中の折々の四季、いまはキーンと音が聞こえそうな白銀の世界…。高原は白銀なのですけれど、それは春を抱きかかえている雪布団なのであって、すぐに芽吹きの世界となるでしよう。山からも里からも野鳥がやってきて、沢山の出会いがあり、すると泣いたり笑ったりの毎日に「忙しく」なるのです。最後の一行『卒業 おめでとう』は変哲もない言葉ですけれど、春の一番に咲く小さな野の花みたいで、おもわず手を叩きたい気持になります。
アメリカからフランスへの永井荷風の奇妙な体験記・体験談が書かれた作品です。この作品には銀行員であったと書かれているのですが、また別の方などは外交官としての外遊(?)と書かれています。荷風の父親が、時の総理と親友で、その首相官邸に荷風を連れて行き、外交官になってアメリカ、フランスに赴いたと伺ったのですが、どちらにしても、荷風の仕事ぶりはほとんど書かれてなく、なぜか不思議な作品に思われます。この『永井荷風・女性とお金』を読んでも、荷風の哲学がよくわかりません。その「よくわからない」のが荷風の哲学でしょう。どうも、谷崎潤一郎的な成功は、鼻から求めていなかったようなのです。では何か…です。「真人間」というような立派なものではなく、世俗の粋に身を落とす感覚で、小説を書き、生きた人物なのではないかと思います。成り上がりではなく、なり下がった永井荷風は、妙に得難い、ありがたい作家でしょう。
なんだろうか。頭が混乱してしまい、何が何だかわからなくなってしまいます。この『随筆 閑人閑話』の作者は滑川雄一郎で、滑川の作品を読むと、まず、棒澤和敏の書いた『愛しのテオドール』(前編・後編)を読んでいただきいと〈注文〉がつきます。なるほど、そうすると、『愛しのテオドール』のコメントを述べる前に、『閑人・閑話』について述べてしまうのは、もしかしたら作者にとって不本意なことなのかもしれません。こうした作品群は、もとを正せば【棒澤貴市】の死を引き継いだ宇津和君が作品として完成させるために始まったのだけれど、それを〈滑川雄一郎〉が、もしかすると同人仲間だったらしき棒澤貴市・宇津和君…というような多局面化していき、迷路がつくられていくのです。小説の文体とか構造の問題がありますが、語り手の交代とか、ストーリーの転移、そういった目に見える世界、それが棒澤貴市の文学の文体なのかもしれません。
後編の冒頭に添えられている〈あらすじ〉を読むと、この作品の全景が見えてきます。【身体の一部を外す「小説」を読んだ安堂則政は、自分の手をレンタルすることにした。借りたのは波多野里奈という若い女性だった。左手は波多野家全員にかわいがられ、テオと名づけられる。里奈はテオを熱愛し、テオを自分のものにしたくなる。母親の手との交換や父親の高額買取の要求を則政が拒否したため、とうとう彼らがマンションまで押しかけてきた】。テオと里奈と則政の三者においての、接点なき性的な関係が渦巻きます。この三者で最も疎外されているのは「則政」でしょう。というのも、則政は「則政本体」と「左手の則政」に意思の疎通はなく、分断されてしまっているからです。快楽を得る里奈はテオを必要としています。則政は、左手がないと不便でありますから、当然のこととして返してもらいたいでしょう。里奈は妊娠します。これは超自然的な出来事です。
遠山金四郎から見た矢部定謙や鳥居耀蔵でもって、「奉行三人」です。冒頭において、舞台は吉原、勝海舟の父親を登場させて見せ場を造り、奉行たるものの何たるかに入って行きます。読んでいて、なるほどなあと感じました。奉行職というものは、やる気になると、つまり熱心に取り組んだなら、それなりの業績・実績を残せるものだと感心しました。それに比較して老中とか若年寄は合議制のため、特定の個人の業績にはなりづらく、国のかじ取りのための明確なあれこれとはならないのです。貨幣の改鋳で、奉行には一日千両もの金を懐に入れることができる、という箇所ではビックリ。『暴れん坊将軍』でも、これほどの悪徳の横行があったとはありませんでした。奉行は財務省とか厚労省に相当する具体的な組織で、若年寄・老中は「政府の閣僚」みたいなものなのでしょう。これまで作者の書かれたあれこれを読んでますが、今回のような時代物はとても興味があります。
作者はとても柔軟な思考をする方ではないかと推測します。中国のウイグル族の問題や、原子力発電といったシリアスな問題も発表しています。それらと対照的なのが本作『家族』です。こちらは、どこにでもある日常を描いたものです。日常なのですけれど、有り得ないと思われていたことが、まるで有り触れた事柄のように押し寄せてくる、今・現在なのです。かつては土地神話があり、戦後の時代をとても明るくしました。土地の価格は絶えず右肩上がりでした。土地を購入して家を建てる。その家に住み、高齢になり家を処分すると、以前、買った値段よりも高い値段で売れる。これがずっと続いてきたのです。それが、そうはいかなくなったのが、人口減少の傾向になった現代です。おそらく良案はどこにもありません。だからといって、団塊の世代がいなくなるまで待つというのも、待たれる側の当方にとっては侘しいです。今が日本の正念場でしょう。
『同学通信』、とてもおもしろかったです。まず、この「通信」の仕組みはどんなものなのか考えてみました。〈安田進〉さんが言い出しっぺとなり〈牛久和夫〉さんにメールを送信します。すると今度は牛久さんが〈岡本幸子〉さんにメールをして、そうして高橋博さん、三沢祐介さんとバトンが渡っていきます。この順番でメール・リレーをする「同窓会」なのではないでしょうか。勉学をしたいとの熱情でつながった、あの時あの所での友人は、年を経るごとに懐かしくなってくるものです。このメールが続くことを、読者としては願っています。冒頭の〈安田進〉さんって、もしかしたら作者なのではないかと思いました。此処のパートだけが妙に細部まで描写されています。友人が言っていました。終戦になったのに、熊谷には爆弾が落とされたと。その時の空襲が一番被害が大きかったのだと、怒っていました。……着想の斬新な作品で、おもしろく読みました。