毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
作者がずっと書き続けてきたのは、葛飾の「たちばな旅館」の娘のかおるちゃんと押し入れの中に入って遊んだ秘密の遊びと、かおるちゃんのお母さんがひょんなことから数分遅れて常磐線に乗らざるを得なかったため、あの大事故「三河島事件」に遭遇してしまい亡くなったことなのですが、それは何度も何度も、砂絵のように画いては崩し、画いては崩しして、時間を遡り何年間も五体投地のごとく計ってきたのです。それらの作品は、すばらしく幻想的なときもあれば、リアルなときもあり、他の物語と結合したり、やたらと写実的な場合もありました。私は、作者が、作者として素になり書いた文章というものを初めて読んだのではないかと思います。それは遠くから聞こえる夕方になっても遊んでいる子供の声のようです。お坊さんの、いつものお経は、ありがたいです。
ふしぎな作品です。会話や短文の地の文でズンズン物事をすすめていきます。読み易く、理解しやすい展開は、今の時代には読者から受け入れられる要素を満たしているでしょう。一点だけ指摘するとすれば、視点人物、つまり部長の町田雄平の視点が、やや中学生離れしているところでしょうか。ややもすれば大人よりも大人目線に感じる箇所があります。おそらく、この作品を書いていて、作者が楽しくなってしまい、作品に作者自身を出してしまったということではないかと思います。だめなのですけれど、よい作品というものには、そうした欠点が生じてしまいがちです。地理研究部は富山に往き、高岡家の面々は東京に集中する‥‥。こうしたてんやわんや振りから、『弥次喜多道中記』を彷彿とさせられました。おもしさの本質を作者は持っているのかも……。
休会して、復帰されての第一作、おめでとうございます。でも、なんとなく〈古い名刺〉をいただいたような思いがしました。工藤さんと言えば、太宰治ですよね。太宰治にはいろいろとありますが、異常と思えるくらい感性の細さがあります。もしかしたら作者にも、そうした自虐的な側面があるのかもしれません。あるにしろ、ないにしろ、太宰的なずるさは必要かも知れません。工藤さんには抒情的な作品を書くことをお勧めします。抒情的な作品は万民向けの作品になります。結構、応用範囲も広いでしょう。下ネタでこれからも通してしまうと、芽がでないままおわってしまいます。目標としたら、お父さん、お母さんを泣かせるような作品を書く事としたらいかがですか。文章の構造は整っていますから、あとは情感の表現を照れずに書くことです。
冒頭の十行に、この作品に書かれたすべてのことを包んでいるような、お品書きを彷彿とさせられるような、心地良い気分の導入となっています。病院の玄関を出て、ゆっくり歩きはじめます。田んぼには赤とんぼが飛び交い、国道七号線のバイパス道、これから30分歩くと家路につきます。数羽のカラスの鳴き声が、15年前に亡くなった夫・敬二の声……俺も家に帰りたいんだよー……と聞こえ、思わず「ごめんね」と由依子は呟きます。その五文字にすぎない「ごめんね」を作中に記すための小説だったのではないかと想像しました。作品自体には、創作と体験とが交錯しているのではないかと思われますが、創作にしてもこのような展開は必然なのかも。孫の「小夜」の不登校と、娘の「美里」、小学校の「先生」、皆ハーピーだしハッピーエンドです。
今となっては、この作品には様々なリアリティがあります。「特別な人」とは、前アメリカ大統領のトランプのことなのでしょうが、今や、あらゆるところに存在する主張なのかと思われます。自己の主張ではなく、主流の主張を自分の主張にして、安堵する流れに、世界は、今、席巻されています。高見家と鮫島家の二家は、父と母の生家なのでしょう。ですので、男と女ととらえることもでき、論理構造みたいなものを生起させ効果的です。さて、偉人は亡くなってしまいます。P74下段3行目に、「偉人は、何も残さなかったし、何もやりとげなかった」とあります。ここで、ふっとイメージしたのは「偉人=異人」でした。なおかつ、〈何も残さない〉〈何もやりとげない〉というのは、ほぼ99パーセントの普通の人々に該当するのではないかと感じます。
とてもうまい作品だと感心しています。とはいえ、文学賞受賞のネックになっているのも、その巧みさにあるのではないかと思われます。作者の作品は、軽みみたいなものを著わし、なおかつ綿密な描写が成されます。捉えどころの的確さと綿密描写は、本来ならよい作品だということになるのですが、昨今の読者層を考えると、あまり深さや考えさせる作品でない方が、微妙なところで、文学賞などでは有利に運ぶのではないかと思います。〈売れるか〉〈売れないか〉が、最大の選考基準だと伺っています。軽みがあって、筋が通る作品の書き方も、それはそれで難しいでしょう。ちょっとしたテクニックとしては、無駄な、あるいは無意味なことがらもポンッといれるような工夫も必要かもしれません。それが今風ならなおベストです。目を見張るほど、うまい作品なのに。
黒真珠には石言葉があります。それは「月のしずく」「人魚の涙」「母に守られ・守護」と、とてもナイーブな抒情的な慰めの言葉です。祖母を中心とした【椿屋】を舞台にあわただしい時代を、視点人物の「真」によって描写されていきます。この、真から見ても華やかな時代になるまでの、東京での株投資での成功、旭川に移っての質屋さん、そして真の少女時代のあれやこれやと、幾層にもわたる物語が繰り広げられます。その中でも、母が家を出たことは真にとっては忘れられない出来事だったでしょう。祖母のファッション業界への転出は奇想天外ですし、祖母と孫とで東京に仕入れに行く姿など想像すると、なんとなくイタリアの映画監督、フェリーニをなんとなくイメージさせます。時代は終わり、一人一人に祖母は宝石をプレゼント、真には〈黒真珠〉でした。
さて、「飲み屋のある場所」とは何処でしょうか。池袋界隈だろうと、心に浮かびます。青江三奈ではありませんが、『池袋の夜』なのです。あるいは『文学市場』です。東森さんは村田一平さんと大の仲良しでした。村田さんは文学市場にきて、東森さんと酒を呑むことを無上の喜びにしていました。楽しく美味しく酒を呑む東森さんを見ると、村田さんも酒が美味しくなるようです。ただ、酒を呑む東森さんを見ているだけで、例会出席が楽しいのです。言葉の固有名詞に頓着する坂本は、きっと、村田さんはつまらないのです。そこへいくと東森さんは、変幻自在の言葉を手元のぐい飲みに注いでは、ひとしきり持論を、それもたわいのない持論と引き換えに、呑み干すのです。風間さん(東森洗)、檜山さん、坂本和子、坂本良介。この四人で立ち上げた文学市場です。