毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
「由」の意味をパソコンで検索すると、「そこから出てくる」とか、「わけ」とか、いろいろ出てきます。「比」は、おおむね「くらべる」と字句のとおりです。人間性が時代によって進化も退化もしない、と書かれていますが、私はここのところ「退化」しているのではないかと感じています。そうですね。1980年代頃からです。今の若者は「考える」ということをしません。なぜなら、彼らや彼女らは、答えはスマホやパソコンの中にあるのです。スマホやパソコンの情報を「知識」と受け取ってなんら矛盾とは思わなくなっています。精神性や思考性が高まったり深まったりということが、あまりないのです。そうしたことで不自由さを感じることもなく平穏に過ごすことができます。若者の笑顔を見れば、かなしいかな、よくわかります。シャンソンには数々の名曲があるのではないでしょうか。その一つ一つの歌には、その唄ならではの世界があるのではないでしょうか。そこにある唄心を、シャンソンの世界を披露していただけると、とても幸いです。
タイトルの『こけつまろびつ、さて今日も』も秀逸ですけれど、小題の『運転免許証とのおつきあい』も小気味の良い標識になっていると感じました。なんといっても〈おつきあい〉という立て方が、なみなみならぬアリガタサを醸し出しています。車の運転は、障害をかかえた息子を病院に送り迎えするツールでした。そのために教習所に通い悪戦苦闘して取得した運転免許だったのです。冒頭に書かれている通産省の高級官僚が起こした交通事故に対する憤りは、作者にとっては相当なものだったでしょう。当人は高齢で車をそれほど必要性としていないのに運転していたこと、事故が起こったのは車に問題があるとの見解、唖然とするほどの自己弁明には多くの方が怒ったでしょう。夫と共に運転の特訓をしました。道路と標識に右往左往して、ついに《捨ててきた夫は今、いずこ》とは、思わず笑ってしまいました。運転免許を、まだまだ若いのに返上してしまったのは、確かに日常において健康だと、電車やバスの方がずっと安心だからでしょう。
華やかなファッションの世界に戸惑いを感じます。これは私の個人的なコンプレックスからくるものだと思います。前編にては株投資の話が出たりして、ファッションの描写もあったのですが、中編では、そのファッションが中心になっています。そして、なんといっても祖母の活躍ぶりがメインになっています。さて祖母ですが、祖母という響きから一般的には七十代をイメージしてしまいます。ところが、この当時の祖母は四十代だったそうです。だとしたら、働き盛りですし、女性の色香が一番漂う年齢だったのではないでしょうか。祖母の若さをもう少し強調するとよいでしょう。特異だと感じたのは、率直な文体の「会話文」と、「です」「ます」調で書かれた「地の文」が、不思議な調べを奏でていて、余韻となっているところでしょうか。もしかすると、会話文は思い出の記憶を辿ったもので、地の文の描写は現在の古舘真の思いなのか、もしくは作者の祖母への思いの文体なのではないかと思いました。『さくさく82号』での《黒真珠》完結編がとても楽しみです。
なんとも不思議な事件です。青柳は自殺なのか。それとも殺人事件なのか。《東尋坊水死体の謎 1 》でも、《東尋坊水死体の謎 2 》でも、自殺の証拠も、他殺の証拠も、一切が明らかにならないまま、《東尋坊水死体の謎 3 》にバトンは渡されます。高速増殖炉でプルトニウムを燃やすと、燃やしたプルトニウム以上のプルトニウムがつくられる。このことが、とても怖く感じられました。物理学や宇宙のことはチンプンカンプンです。ですけれど、ビックバンなどのことはテレビにて何度か見ています。宇宙のでき方は、微細な粒子が爆発して、次々と無限級数的に爆発の連鎖をすることによって、宇宙はできたのだそうです。それが、ほんの数秒の時間にて。そのビックバンと、高速増殖炉は理屈的には同じなのではないかと類推させられました。現宇宙の中に、新たな宇宙ができるなんてあるのだろうか。この宇宙も、新たな宇宙も、物質と反物質が合体して消えてしまうように、消えてしまうのではないか。いずれにしても、わくわくして完結編が楽しみです。
「密毒」とは意味深なタイトルです。1980年代とは、そういう時代だったのでしょう。たぶん1980年から1990年までの期間が、日本が最も栄えた時代だったのではないかと、振り返ってみればそう思います。そうした時代に終止符を打ったのが、〈ジャパン・イズ・ナンバーワン〉という浮かれ言葉の流布によってでした。統計的な数値では、日本が世界一豊かな国だったのは確かでした。日本中の工場で、生産のために石油が多量に燃やされ、繁栄の「毒」を撒き散らし、溜め込んでいったのです。そうした「毒」が最も濃密に現れたのは、書かれているところの業界紙『石油燃料社』だったのかもしれません。この会社の描かれ方はかなり象徴的です。アバウトで、破綻的でもありました。眼鏡さんは死にましたけれど、それは譲二さんでもよく、修一でもよかったのです。いろんなお歴々の子弟が縁故にて寄せ集められているのも、なんとなくですが、特殊なクラブの階層のように感じました。OPECの議長が立ち寄るほどの位置にある会社とは、すごいなあ…です。
パンダとコタの腐れ縁的な友情が描かれているでしょう。それに対して、もしかすると相似形を成しているのか、塾での夏川と飯田の関係ですが、まずはそこまでの見通しはまだ不透明です。それに、おそらくパンダとコタの友情はずっと続いていたのではなく、たまたま、塾の隣の銀行跡地の解体工事をパンダが請け負って、その奇遇によって、以前の友情が復活したのだと思います。うすい関係ながら、友情の極みみたいなものが、このパンダとコタの関係なのではないかと思われます。かつての時代の残滓である成績優秀者と劣等生、あるいはめぐまれた家庭の子供とめぐまれない家庭の子供。そういう違いのある者同士が友情を育むことはめったにあるものではありません。パンダとコタと同様に、飯田と夏川の間に通うものがあるとよいのですが…。飯田は千葉高校を目指しています。なぜ難関校を目指すのか、わかるような気がします。父親のパンダのために、県内で一番秀才の集まる千葉高校に合格し、そうして、ただ「ありがとう」と言いたいのです。