2021年8月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:休会

さび抜きとストロー

「さび抜きとストロー」とのタイトルで何のことかと思いましたら、桜沢七海は寿司にのせるワサビが苦手で、それでワサビから「わ」を省略して「さび抜き」と呼ばれていました。一方の水沢樹は精神的に強い女性でストロングなのですけれど、やっぱりこの名詞から「ング」を「―」に変換して「ストロー」と呼ばれていました。高校を卒業して、それぞれ大学に進学したものの互いに音信不通をしていたのですが、七海の都合で再会したのです。これまで作者は、妙に実在感のない現代的な作風を通してきたと感じていましたが、今回は妙にリアル感が漂っています。もしかしたら、作者も、この作品への入り方に逡巡して入ったのかもしれません。最初の1頁において、視点人物は「男」と見たのですが…女性、七海でした。さて、この後の展開が楽しみです。

みんなが見ている

 意味をとろうとすると、なにがなんだか、蜘蛛の巣に絡めとられたような感覚に陥ってしまいます。「みんなが見ている」。さて、みんなは何を見ているのでしょう。見えないものを見る―がキーワードのように浮かんできますが、〈吉野美香子〉とは何者なのか。どだい吉野美香子とフルネームで表記するのは何故なのか。かなり特異な人物として、みんなの視線を集めています。吉野美香子の画いた絵ってどのようなものなのか想像しましたけれど、なかなか複雑です。彼女は抽象画家ではありません。彼女の歩き方から、それは想像できます。「ぺたっ、ぺたっ。ずるっ、ずるっ」という歩き方は、不安で不安で、果たして地面があるかどうかを一歩一歩確かめて前に進む歩き方なのです。しかるに、私たちは抽象画家の吉野美香子をイメージしてしまっています。

永井荷風 女性とお金 その2

 作家らしい作家って誰かなと考えるとき、もっぱら永井荷風を思い浮かべます。世間欲のない方で、他の作家の名誉心や勝ち負けで競う様には、俗人性を見てしまいます。永井荷風の先祖は大名の跡継ぎだったけれど、それを嫌って百姓になったと伺っています。名門の出自であることは確かだそうで、外交官試験を受けないのに外交官となり、アメリカに行き、フランスに行ったと、針生一郎さんが怒ってました。ちょうど今回は、そのアメリカのことが書かれていて、なるほどなあ、と感心しました。たいへん正直な作家で、その正直なままに振舞い、色好みなのでしょう。今回の〈その2〉を読んで、永井荷風がどのような文体で書こうか、いろいろ思案している箇所があり、ちっと、その点は作家です。荷風の作品は、天然の文体なのだとばかり信じていたのです。

大山茶湯寺考

 柳田国男の「山中他界観」と「祖霊信仰」を実証的に論じる作品かな、と思いました。おもしろいです。おもしろいけれど、かなり難しいです。若い頃、少し勤めていた会社にいた、長野県だったか、それとも新潟県出身の方がいました。ある時、お墓の話になり三、四人で話していたら、その方が「うちの方では決まった家墓というのはない。全体の山一つが村の墓だ」と話すのです。墓の話なのに、なぜか姥捨て山をイメージしてしまいました。柳田国男を私は好きです。好きですけれど、どこか美的過ぎるとも感じています。丹念な資料調査には頭が下がります。それとともに頼もしいです。大山には一度だけ登ったことがあります。平地からだと個々の山が見えるだけですけれど、山に登ると〈山波〉がひろがります。〈海波〉〈山波〉は古来のハイウェーだとか…。

F・Nのこと

 今回はエッセー風に俯瞰した諸々が書かれていて、時代というものの思考形態でしょうか、学びの発見をさせられました。特に冒頭に登場したエジソンとカーネギーのやり取りは面白かったです。エジソンがカーネギーの仕事について、〈人間が金属と働く〉と表現したことにはビックリです。私なんかの感覚では、まさしく奴隷工場をイメージするのですが、その表現をしたエジソンは、人間と金属との単純反復労働が〈利潤〉を生んでいることに喜びもせず、趣向の美術や写真の話ばかりする、と批判的です。よい時代だったのか、わるい時代だったのか。クリミア戦争に自分の居場所を見出したナイチンゲールにも言えることかもしれません。金でも、芸術でもなく、〈命〉を救おうとするナイチンゲールは偉大です。時節柄、アフガニスタンの中村哲さんのことを思い出しました。

オレたち!チリペッバーズ 2

〈オレたち!チリペッバーズ 1〉に比べて〈チリペッパーズ 2〉は、短期間であるにもかかわらず。描写力が上がり、作品構成に関しても成長を感じさせられました。何か、表現のコツみたいなものを会得されたのかもしれません。主人公の町田雄平は東京都。副部長の阿久根桜子は鹿児島県。名取和真は宮城県。高岡啓太の出身は今回の夏合宿地である富山県。部の顧問の須崎桂美先生は高知県。さてはて、皆さん、地理研に相応しく日本地図の縮小版のような部員たちでしょう。一箇所、すごく良い表現だなと思ったのは、P329下段8行目の「窓から朝の景色をのぞくと、」です。普通の表現なのですけれど、不思議な表現に感じました。「窓から…景色をのぞく、」は空間描写です。「…朝の…」は時間描写です。見事な空間と時間の捩じれを瞬時に捉えた表現です。

小説・仙女の章

 古典に由来する作品は、当方に個々の事象の知識がなく、しかもそれが数珠つなぎになってくるわけですから、理解が追いつきませんでした。『万葉集』の位置づけを、『日本書紀』だとか『古事記』と同列なのではないかといった説は、説得力があると感じました。『万葉集』は文学で、『日本書紀』や『古事記』は歴史書だというのは、大いに偏見からくるものでしょう。『万葉集』は大伴家持の編纂だということが、後々において、国書足りえなくなったのかもしれません。『小説・仙女の章』というのは、苦肉のスタイルですね。小説には見えないのですが、それを小説と歌うことによって自由な創作・展開が可能になります。それにしても、確かに初期においては女性天皇が多く、女性の時代だという現代において、女性天皇反対者が多数なのは、いかに? です。