毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
「奇譚集」という意味は、なんとなくおどろおどろしい感じがして、怖い話なんかが書かれているのかなと思わされますが、片や「誕」となると佳き事の現れかなと思い、はてさてどんな作品なのかはらはらして目を透しました。『獅子』では、その獅子がたくさん出てきて、自分もその獅子たちのなかの一頭だというのですが、不思議と、叔父も私も仏像を彫り続けます。叔父にしこりができ、私にも叔父と同じしこりができ、桃源郷に一歩近づいたとさとるですが、そのさとりは死への道筋です。どうも、この作品の「誕」とは「死」のようで、生と死が逆転した悟りの境地なのかもしれません。「非常出口」で、亜末はなぜ「怒り狂っていた」のか…。「ムクドリ」は人間次第、人間はムクドリ次第です。「麻痺」「グッバイ・マイラブ」「迂闊」。「濡れ衣」は痴漢騒動ですが確証なし。
風の沈む夕日/風の沈む夕日/風の沈む夕日…と何遍繰り返しても、「風の沈む夕日」という言葉そのものを直につかむことはできません。詩のはじまりにおいて、「砂に、吹いている、風の音が、止んでいる」とあります。風は砂に吹いていたのです。「天秤に夕日が射し、光の重さを計量する。」は、なんとなく〈最後の審判〉を彷彿とさせます。〈海はなく、砂ばかりで、〉とは、誕生はなく死ばかりと響きます。〈風は音を知らない〉は、歴史のあったときには「風は吹き、風の音は」あったのだけれど、「風≠音」となり、風と音との因果関係も「無」になってしまったのでしょう。言葉が言葉でなくなり、言葉に付随していたあらゆる意味や作用がなくなった世界を、郷愁をもって表現した《詩》の記録なのでしょう。『風立ちぬ』という言葉を、この作品を読んで思い浮かべました。
よくできた怪談物、あるいは異界物なのではないかと思いました。どうして主人公の名前が「傘子」なのかと、読み終わってから作品をぼんやりとながめていたら、そこに見えてきたものがありました。傘子の『傘』、この傘という文字には右にも左にも「人」が積み重なって見えます。正確にいうと、右に二人・左に二人で合わせて四人です。四人ですから、四国を死国といった映画があったように「死国」となぞる事もできます。作品の核心は、傘子が六歳か七歳の頃、裏の家に住んでいた三歳年上で体の弱い「靖」が、一緒にゲームをして遊んでくれたことがあります。その靖は子供の頃に死んでしまいますが、傘子のことはずっと守り続けていてくれたのです。傘子の傘になってくれたのが靖です。それにしても死者たちの描写は怖くて、迫力があります。
今回の〈自死者考 エンディングノート演習③〉は、すこぶる力が入っていて、たいへん堪能しました。特に三島由紀夫に関しては圧巻でした。新日本文学会の会員であった田坂昂氏の著作に、三島由紀夫論があり、出版時に出版社の方から三島由紀夫に贈ったら、丁寧な礼状を頂いたそうです。便せんに20枚くらい、しかも、正座して清書したのではないかと思われる筆文字だった。ニーチェを絡めての三島論であった。考えれば考えるほど、三島はわからなくなります。西洋の支配関係での国体ではなく、父であり母である天皇を中心にした家族関係的な国体が、いかにして軍隊的になるのか一向に見えてきません。もしかすると三島自身、全体的関係は考えていなかったのかもしれません。愛新覚羅慧生・火野葦平。歌謡曲「アカシアの雨がやむとき」はいい曲ですね。
コロナ禍に相応しいタイトルだなと言ったら、コロナ禍に負けたようで解せません。花盗人でなく花泥棒だと少しは粋なのですけれど、一株まるごとはいただけません。ヤマモモは、私もあこがれの果樹です。果樹というほどの果樹ではないのですが、伊豆半島に旅行した時に見たヤマモモの木と、その赤い実は、なんとなく一人占めしたい気分にさせます。冬のキノコは、はたしてエノキタケだったのでしょうか。エノキタケだったとしても、やっぱり食べるのには一大決心しなければならないでしょう。さて、「酒が飲めない」です。禁酒がたいへんなように、禁煙もたいへんです。 いつの間にか禁酒してしまったこと、おめでとうございます。実は私も、いつの間にか禁煙してしまったのです。今年の一月からです。電子タバコのおかげですけれど、ニコチンなしの禁煙です。
フランスにはジャンヌダルク、イギリスにはナイチンゲール、現代ではスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんあたりが、タイプは異なりますが「聖女」と言われるのでしょうか。クリミア戦争の渦中で大活躍したナイチンゲールは、看護に命を捧げた女性としてつとに有名です。なぜ彼女は戦場に赴いたのか、知りたいところです。世界一の大帝国がロシアに対等な戦いをされてしまうのですから、そのあたりも世の奇異なところでしょうか。そこに新しい思想、人命の大切さというヒューマニズムの価値観が芽生えたのは幸いです。ナイチンゲールはその一点で偉大です。ナイチンゲールが脚光を浴びたヴィクトリア女王の時代も、そして現代のエリザベス女王も、たいへん長らく在位しております。現在が、良き時代のリフレインであることを願っています。
田舎の市議会選挙にでている小田原力也の掲げている選挙公約が『他力本願』だということなのですが、さて、はて、顛末はどうなるものかと誘います。他力本願とはわたしのことかと、わたしである梅田加奈も、選挙事務所で働く田中マリモも、最初と三番目の女である「ユキやはるな」なども、こころなしか思ったことでしょうが、加奈もマリモも「他力」には投票しませんでした。「ユキやはるな」だって力也に投票するような雰囲気ではありませんので、たぶん、力也と関係のあった女性は誰も入れなかったのでしょう。それでも力也は最下位ながらも当選してしまうのです。父親の洋菓子工場の社員が投票したならば、田舎のことですから、当選も可能だったかもしれません。それにしても、「他力本願」という選挙公約は誰に向かっての公約だったのでしょう。
だいぶ変わった作品です。読むこちら側がへそ曲がりに読むものだから、単に読めなくて、自分勝手に解釈するからそのように感じてしまうのかもしれません。間違っていましたらすみません。そもそも「俺のための世界」なんてあるから、石原裕次郎の『二人の世界』ではありませんが、きゅっと収縮して考えてしまうのです。冒頭、バスの「転落事故で大勢が亡くなったが、知良は無事だった」とあります。無事ってどういうこと? 転落事故で大勢が亡くなったとあるが、安井や究道子やレストランの給仕や看護師。彼等や彼女らは、果たして亡くなったのか、それとも生き残ったのか、ほんと、よくわかりませんでした。そこで思いついたのです。知良はよくわかりませんが、他の全員はバスの事故で死んでしまっていると。情報だけが生きているオンライン飲み会です。