2021年3月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:3月21日(日)
  • 例会出席者:9名

このくにのきずな 5

 作品が短すぎたのか、全体の内容をつかむことができませんでした。俺が加島を給水塔の上に閉じこめてしまった、ということしかわかりません。このままだと加島は死んでしまうでしょうから、「俺」は殺人者になります。学ランを着ているので学生でしょう。高校生くらいでしょうか。札束って、いったい何をやったのでしょう。札束というのですから、100万円以上だと思います。その札束も登場しません。加島が「俺」に対してひどいことをしたとなっていますが、そのことも描写されてないのです。エレベーターがついているほどの給水塔は、おそらく、とても高く大きな塔なのだと推測されます。この地区にとってはシンボル的な存在でしょう。「ようやく僕が終わり、僕が始まる。/思わず笑みがこぼれた。」これは、俺が加島になった瞬間でもあるでしょう。

出立の記

 味わい深い作品です。(一)で脱サラをして、コンサルタント業を興した顛末から書き出されています。(二)では、企業の売り買いをなりわいとするような業態にも手を広げます。(三)さらなる脱出を模索いたします。この「脱出」という感覚がとても新鮮に感じました。脱出のために子供の頃を振り返る場合は、心が休まります。ここでの圭子さんは創作ではなく、実話であるような踏み込みが窺えました。新聞に、圭子さんが美人コンテストの準ミスになった写真があり、その隣にあった〈川柳〉の記事に目を留めたことを想起しての、川柳の会への入会です。縁は異なもの、圭子さんです。(四)企業活動と川柳入門の二人三脚は順調に続きます。(五)大山一樹氏から「黎明川柳の会」の代表を引き継ぎ、バトンを女性に渡す決意をして、まずは一休みというところでしょうか。

オレたち! チリペッパーズ

 とても特異な中学校での一コマです。校長ではなく「学長」というのも特異です。でも、こうした地理のクイズ的なクラブ活動も、現在ではあったりするのかもしれません。町田雄平はクラブの部長ですので、学校から支給される部費に関しても責任者なのではないでしょうか。それとも須崎先生が管理者なのか、そこのところはきちんとしたほうがよいです。そうしたことを押さえると、作品の存在感が引き立ちます。文章がとみにうまくなってきています。登場人物の書き分けもすばらしいです。作品を書く上での客観的な視線が働いているからでしょうか。なんとなくですが、このままですと、夏の合宿には須崎先生は同伴しないのかなと思わせられますけれど、中学生だけでの遠距離の一泊旅行は無理だと思います。まあ、次号を楽しみにしております。

散歩イヌ

 おもしろい発想の作品です。私は夫の博之から「イヌになってくれないか」と頼まれるのです。人間は二足歩行するようになって、足は発達しましたけれど、手は退化してしまっています。もっとも、脚が発達して、四本分の脚の機能を二本でこなせるようになったのだし、あまり力のいる仕事をしなくなった脚は手となり、発達したのか退化したのかは微妙ところです。イヌになった私はご近所の人に見られてしまいます。ご近所の人は、私をイヌそのものとしてしか見ません。ここのところを書きたくて、作者は書かれたのではないか察します。首輪をして散歩していれば、それはイヌなのです。人間は観念の動物です。築き上げた観念と異なる状況には対応することが出来ないのです。ゆえに私はイヌなのです。イヌ→居ぬ→犬、と様々ですけれど色っぽい、いぬでした。

ひろばの秋

「区民ひろばケヤキ」という行政組織、並びに区民サービスのためのボランティア団体がありまして、通称「ひろばケヤキ」と親しまれ、年間の様々な催しを企画実行しています。そこに新しく参加した山下修一の視点で、11月初旬のコロナ禍の中での「ケヤキまつり」の、修一なりの体験を、この一年の回顧を含めつつ描写しています。メインは、「牧さん」です。あまり登場はしませんが、区の若い女性職員である江見さんも花を添えています。牧さんの言葉「木の枝を全部合わせると、幹と同じ太さになるんだってね、どんな木もだって」は、本当だろうかと考えさせられました。どことなく人間の平等性の言葉として感動しました。もし例外があるとしたら、盆栽くらいかもしれません。この作品に続編はあるのでしょうか。そしたら、江見さんが活躍するかも……。

コロナ禍と仲間達

 コロナ、コロナで一年が経ち、驚異的なスピードで数々のワクチンはできたけれど、さて、見通しとなると、日本の理化学研究所では後二年は続くといっていますし、イギリスかなんかの研究者によると五年続くとか、あまり楽観的なニュースはありません。そこへゆくと『コロナ禍と仲間達』は、上手にコロナと付き合っているなと感心しました。コロナに対処するため、すかさず「深紫外線LED」を購入する進取の気概はたのもしいです。外出は控えてくださいとのお達しですけれど、確かに夏の八ヶ岳の湿原への旅行は、三密を避けることにおいても最適かもしれません。それにしても、「おっちゃん」と「杉さん」という名うての技術者と懇意であるということは、芸術家として心強い味方ですね。「夏の大三角形」って、おっちゃん・杉さん・それに先生かも……。

読書雑記 46

 漫画家・ジョージ秋山の代表作『アシュラ』(幻冬舎)を取り上げての、めずらしい読書雑記46です。1970年前後だったか、『アシュラ』は少しだけ読んだことがあります。私はジョージ秋山の『銭ゲバ』が好きで、月刊誌だったか、週刊誌だったかで、発売日を待って読んでいました。これが完結して、続いて書かれたのが『アシュラ』なのではないかと記憶しています。こちらはどぎつすぎる内容なので、途中で止めてしまいました。白土三平が党派的反体制だとすると、ジョージ秋山は無党派的反体制として受け止められていたように思います。つげ義春なんかだと、漫画界の純文学作家です。『銭ゲバ』を書き終えたジョージ秋山は、500万円の郵便局通帳を持って、日本全国の旅に向かったと聞いています。市井の地獄に飛び込んでいくようで、カッコいいと思いました。

ペフキ

 タイトルは「直接にペフキ」ではなく、「ギリシャ文字でのペフキ」で、どことなく暗号の迷路に入り込むような趣に誘われます。ギリシャは、担当教授にしても、村澤にしても、岡林にしても、視点人物としての人称表記のない「わたし」にしても、留学先としての遠い故郷です。ギリシャと、館山の海と、新宿界隈の雑然とした描写。ギリシャの風景には遠近がない、という表現にはビックリしました。ビックリしたものの、気付かされもしました。西洋では遠近に疎い所があり、それで遠近法が技法として進んだのかもしれません。日本では遠近法はあまり意識せずとも存在しており、あえて方法論にならなかったのかも…。いくつものパートによっての構成があります。大学村があって、印刷屋や製本屋が入り組み、理不尽なのか、それとも奉仕なのか、今だけの今が刻まれた作品です。