毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
倉本聰のテレビドラマ『やすらぎの郷』からはじまる一連のシリーズの諸々に関して書かれています。このドラマは豪華な俳優が出演しており、製作費が嵩むのではないかと邪推するのですが、そこはそれ、俳優が原作者に惚れ込んでの手弁当なのかもしれません。そのように思わせるだけの生き様が、年老いた倉本聰にはあります。たくさん制作されたシリーズだそうですが、実は、一本もみたことがありません。見たいとは思っていました。俳優陣も食指を促しますし、豪華な施設でどんなドラマが展開されるのかと興味もありました。いかんせん時間がとれませんでした。テレビドラマだけれど、なんとなく舞台劇のような間合いのあるリアル感があるのではないかと想像させられていました。年老いての失敗、恋、喧嘩、笑い、共感、それら取り返しのつかない一つひとつを見たいものです。見なかったことが悔やまれます。
会社では三十歳にして、数多くいる社員の中から抜擢されてエリートコースを歩んでいる三田隆司ですが、結婚となると、打算に走らない性格ゆえにうまくいきません。そこで、母が勧める〈マッチング・クラブ〉に登録するのですが、さて戦果はいかに?…。会社での気のありそうな素振りを見せる寺井有希と、マッチング・パーティーで知り合った近沢麗奈の間で揺れ動きます。仕事と異なり、結婚となると純情な隆司には荷が重すぎるのかもしれません。うまくいきそうだったのですが、麗奈は会社の同僚と婚約してしまい、有希は開業医と突然結婚してしまうのです。踏んだり蹴ったりの隆司です。もしかすると、隆司は自分が選ぶ側だと思っていて、女性の側でも自分と同じように「選んで」いるということに気が回らなかったのでしょう。とりあえず、よい経験になったのではないでしょうか。特に有希さんからのシグナルを見逃してしまったのは残念ですね。
東日本大震災を題材に、みかん栽培の北限である広野町出身の演劇女優・橋本さゆりと、視点人物である遠藤健一との淡い恋を描いた物語です。ということで、楠の木の下で雨に打たれているあじさいの花を傍らに、ベンチで語らう「さゆりと健一」は絵になるなあと感じました。情景描写は小説には必要です。作者はそうした技法に今回はじめて成功したのではないでしょうか。堪能させていただきました。さゆりさんの背景描写は納得ですが、健一の野球の挫折は、さゆりさんにくらべて取って付けたように感じました。気負い過ぎたのかもしれません。でも、全体としては感動的な作品に仕上がっています。みかん栽培の北限である広野町の描写と、津波で何もかもが流されてしまった、その書き込みが少なすぎるのではないかと思います。さゆりさんの妹の遺体が発見されたこと、この舞台がさゆりさんの最後であること、それらを舞台の幕は包んでくれるのです。
作中作といいますか、作品の中で他者が書いた作品を登場させ、あれこれと思いを巡らす小説です。もっとも、これから先どのような展開になるのかは未知数なので、全体の構造についてのコメントは控えるべきでしょう。ということで面白い作品です。構造として〈作者の書いた部分〉と〈友人の棒澤貴市の遺稿〉が書かれてあります。その作者と棒澤貴市の書く文体が似ているので、少し変えて書くとよい、との意見が出されました。微妙なところです。というのも、こうした作品に登場する人物とは「リアルさがない場合」が多分にあるからです。視点人物である「私」=「棒澤貴市」という結末になるかもしれません。『無題2』には、「男なんていらないおばさん」「貧乏揺すり男」「キャラメル娘」の3話が書かれてあります。内容は単純に変わった話なのですけれど、文体が特異で、文体を読ませる小説となっているのでしょう。続きが待たれます。
短歌の面白さの一端を味いました。短歌はあくまでも作者の心情に根差す詠み方をするものですが、掲載された作品で取り上げた啄木の歌には、「相互の関係」の妙味が歌い込まれています。また与謝野晶子や『宗女小歌集』の短歌は、恋歌としての相方からの問答的要素が含まれているでしょう。やや散文の書き方を取り入れての短歌になっているのです。短歌についての私の知識はなく、和歌と短歌の違いすらわかりません。和歌は和歌、短歌は短歌なのでしょうが、それぞれからはみ出す境にもそ個々に詠まれる歌はあるのでしょうから、そうした歌を取り上げての作者の趣向こそおもしろいのだと思います。石川啄木と与謝野晶子との関係は、与謝野晶子の夫・与謝野鉄幹が主宰する会・雑誌に啄木が投稿していたのでわかりますが、三島由紀夫の挿入は作者の好みでしょうか。作者は風変わりな作品を好むようですね。これからが大いに楽しみです。
清美の就活の作品ですが、矯正施設を出所したばかりの就活ということで、一種、不思議な雰囲気が漂います。果たして清美とはどういう人物なのでしょうか。無軌道な清美さん。こだわりを持たない清楚な清美さん。こうした二つの人格を持っている普通のお嬢さん風に、作者は描写していて、なかなか巧みです。わるいことをしても、それをわるいことだとは思っていないので、一途にやってしまったら悪いといわれてしまう女性なのでしょう。だから良いことをするのも同様のことで、自分を犠牲にして良いことだと思い行動するわけではないのです。うまくいくと天使のような人ということになります。銀座の宣報社という広告代理店の面接試験を清美は無事にクリアしました。もっとも判定は4、5日後ということですが、読者としては、なんとなく採用されるような感じを受けます。〈つづく〉とありますから、どんな悪戦奮闘があるのか、期待しています。
今回の第4章は尖閣諸島問題から、中国の日本の自動車会社に対する陰謀的経済的制裁、反日デモへと発展、その混乱を逆手にとったウイグル自治区や中国全土でのデモへと、大波乱が勃発するという展開です。記憶にも新しいことですし、日本の経済力が中国に抜かれてしまった時期と重なり、一種の転換点だったような気がします。そういえば、作中の〈世界ウイグル会議〉って、東京で開催されたのではないでしょうか。ウイグル民族の代表は女性だったと記憶しています。この作品は、203高地から始まっています。その時からの時間の経過が、中国革命を経て現代まで続いているのだと思うと、この作品の世界史的な眼差しが窺えます。かなり難しい局面に差し掛かっていますが、無事に完成されるよう願っています。勝つことに執着すると、負けた場合を受け入れ難くなり、自らのあらゆるものが貧性に落ちてしまいます。誇りを持ちたいものです。