2019年11月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:11月17日(日)
  • 例会出席者:11名

アタシね、由比子 ④

 いろいろ考えさせる作品です。考えさせられた末に視点人物について考えてみました。リボンの騎士が女の子にも男の子にもなれるとすると…、「由比子」の「比」の右半分って、「牝」という字の右半分と綴りが共通しています。また、「牡」という字の右側にある「土」は「比」の左側にある「土?」と類似性があります。男と女を「比べた」作品という意味かもしれないなあと考えつつ、男の子と女の子の視点を持った、まさにリボンの騎士のようなのです。まあ、考えすぎでしょう。今回も楽しく読ませていただきました。「初めてのキス」を体験して、さてさてと、女の子の生理や男の子の夢精と段階を経ていき、男女の性的不平等に遊びますが、なにやら次回にはさらなる出来事の予感がします。こういった題材の書き方ってとても難しいですね。作者の腕の見せ所でしょう。

このくにのきずな ①

 シュールリアリズム的作品なのでしょうか。たいへん刺激的な面持ちがします。たぶんP189の上段5行目までは幻想の世界です。半無人駅といいながら、あきらかに無人駅です。無人駅の条件は、電車が一日に多くても四本くらいしか走らない駅の場合ですが、この駅は一時間に数本停車しています。それに自動改札機というたいそうな機器もあります。向かいのホームというからには複線化もなされていて、老婆が登場します。こちらのホームの端に若い男が倒れています。電車が走って来て、女性の抑揚のないアナウンスが響くのです。なんとなくですがイメージできるのは、情報化された世界があり、その情報化に取り残されたもう一つの世界=島があり、その顛末がこの作品なのではないかと思いました。さて、「彼だけを乗せたバス」は何処に向かうのでしょう。

胃が痛む

 文章にますます磨きがかかってきましたね。そのせいか内容がすんなりと理解できます。こう言ってはなんですが、登場人の全員が「不幸」に陥らない小説って、作者にとっては初めてなのではないでしょうか。もし、ありましたらすみません。ということで、「胃が痛む」とは登場人物ではなく構成する作者の側の胃が痛んだのではないかと、妙な感想を持ちました。母方の伯父である鈴木道夫さん。最近三十歳ほど年の離れた後妻さんを迎えています。母の息子で伯父の甥は佐藤圭二(この作品のキーパーソン)。それから道夫の結婚する近本由香里。なんといっても伯父の妻で、未亡人となった佐和子。作品の重しになっている「西部邁」などなどが描かれている小説です。西部邁さんや、健在である佐伯啓史さんのような筋の通った保守思想家は、好きです。

スペクトラム

 かなり作品の構造を捉えるのに難しい小説です。2万5千キロメートルの上空から地上に急降下するのは、たぶん、緑の馬に乗ったぼくです。そのぼくが見るのは、父や母と暮らしているころの思い出だったり、家族の顛末だったりします。かつて、ぼくは赤い馬の絵ばかりを描いていました。赤い馬とは、ぼくの誰にも伝えることのできない何か激しい内面の現われなのでしょう。それが今日、初めて緑の馬を描いてみたのです。金縛りになり、緑の馬に乗ります。体は無理なのでぼくは「空気になって」乗ります。つまり、これは僕が死んだ瞬間のことでしょう。馬に乗って、沈下橋の袂にいる赤いワンピースを着ている母を見つけます。赤色は「生」。緑色は「死」。作品の構造は回転木馬と同じような、エンドレスになっているのです。「星のめぐり」です。

黄金の間

 さて、不思議な作品です。縁結びを天職だと思っていた「私」が、すい臓がんから奇跡的に助かり、ますます仲人であることを天職だと再確認するお話です。ほんとは「お話」ではなく「小説」とするのが妥当なのでしょうが、なぜか「お話」と思わされてしまいます。それは「です・ます調」の文体のためかもしれません。縁結びを天職と心得ているためか、「結び」に焦点を当てて、「私」をやや空気のような存在にさせています。ちょっと穿った読み方になりますが、「私」は実際にはすい臓がんで亡くなってしまっているのではないかと思いました。亡くなっているけれど、生きている。その両方が在って、生きている「私」の方が縁結びをしているのです。縁結びとは、目に見えない縁の「見える」化です。黄金の間とは、幸せの出発点でもあるでしょう。