2018年8月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:8月19日(日)
  • 例会出席者:12名

暁の花

 27首からなる「暁の花」です。この中で特によい歌だと感じたのは、〈古道具子供とともに片付けし朝の空気の静かな活気〉〈家族とも季節の流れ分かち合い清き流れに乗りたしと思う〉〈あの頃は夏の熱気をかき分けし遠き青空今もありける〉の三首です。やっぱり歌主である「私」が歌中におさまってあると、感情移入することができます。反対に分散するような歌であったり、転じてしまう歌の場合は居所をなくして焦点を見つけられなくなってしまいます。一首上げるとすれば〈店開けて客と交わせる雑談に/夏の流れの交われる日々〉でしょうか。5・7・5は客と店主の雑談なのですが、7・7では、その雑談を「夏の流れ」に流し込んでしまう客観的視点が窺えます。もっとも、「客の夏・店主の夏」のそれぞれの交われる日々なのだと捉えるならば、それはそれで風情なのですけれど、何か不足しています。多感な作者と多種な発想の作歌、そのことはすばらしいです。  

読書雑記 40

 今回の小題は「本屋の物語」となっています。その冒頭で「ありふれた企画や多少の意見交換、焼き直しのマーケティング程度で、集客ができるわけではない」とあります。このことは実感できるだけに、『本屋という「物語」を終わらせるわけにはいかない』『あるかしら書店』を読んでも、はかない希望のようにしか思えませんでした。読む人は読むし、読まない人は読まない、のだと考えてしまいます。本屋さんの問題はスペースにあるでしょう。限られた店舗スペースですから、売れる本を置く・推奨することになります。どんなに売れる本であっても、それはごく少数者です。その「ごく少数者」に向けて本ぞろいをすると、徐々に本屋を訪れるお客さんは減ってしまうのです。売るための努力が、逆に、客減らしになってしまいます。あまたある本の、どの本を手に取っても、面白くない本なんて一つもありません。それなのに、…どうしたらいいのでしょうか。  

アタシね。由比子 ①

 異色の作品だとの感想が述べられ、次いで、笙野頼子的文体の運びだとの意見が出されました。確かに特異な表現です。主語も明確であり、対象もはっきりしていて、何事も明確なのです。笙野頼子が戦うポジションにあるとすれば、そこを柔らかく女性にとっているのが作者の文体でしょう。小説なのか、それともエッセーなのか、といった疑問が提起されましたけれど、もっていきようではどちらにもなるのではないかと思いました。どちらもあって、小説なのではないでしょうか。セックスって、ドキドキします。そのドキドキをこれからシリーズでお目にかかれるのですから、楽しみです。血液型ABで、さそり座だそうですが、奇遇なことに私も同じです。ちなみに会員の佐藤さんもAB型で、比率的に文学市場には通常の2倍くらいのAB型の方がいらっしゃることになります。破天荒な作品は面白いです。どうぞ、よろしくお願いします。  

ヴェルヴェットの部屋

 作者の持つ主題の一つである作品だと思いました。新生児と幼児期を除いた15年間を引きこもりで過ごした、ということですから、僕は20歳くらいなのでしょうか。「僕には特殊な能力があるのだ」ということですが、これはヴェルヴェットの部屋に抱かれての「能力」なのです。幻想力ともいうべきこの能力は、川になり、風になり、日になり、土になり、鳥になります。その後「石」にもなったし「杉の木」にもなって、楽園みたいな島にも飛んで、宇宙に繋がっていくのです。「僕は自分の体がとんでもない空間に放り出されたことを感じる」のですが、それが四十九日目だったとのことで生と死との間での釣り合いがとれるのです。死を自覚したところで自分にかえると、不思議と、自分が何者でもない人間だということに静まります。全篇が創作、作者の心境世界のことで綴られていますが、なぜか「荒川」の語だけがリアルに感じられます。核があるのは幸いです。  

メルトダウン

 フレッシュな感じがしました。皆さん、新人の、それも若い方が入会しての初回の提出作品なのかと思われたようです。私もそのように信じていました。編集から、ペンネームを変えて出されてきた作品だとの紹介があり、なるほどなあと感心したしだいです。名前を変えると、それだけで作品の作風は変わるものなのですね。ネット難民の境遇になった視点人物=柳田慶次を通して、家族崩壊にいたった顛末が明かされていきます。母の不倫、そして単身赴任している仙台に父を訪問して知った父の不倫、ダブル不倫だったわけです。メルトダウン、手の施しようがない、という結果になって作品はおわります。ケイの視点で書かれていますけれど、気になるのは、そのケイに作者が付きすぎているかな、といった点です。もっとケイに自由にふるまわせて、ケイから見た描写になると、より作品は小説になるでしょう。ネットカフェの料金の高いのも、少し気になりました。  

画鋲の味

 論理性に深い作品です。人間味のないウルトラ優等生である牧さんを冒頭に置き、現実の中学生たちが登場しています。渚を中心にした牧さんへの悪口オンパレードが、それに飽きて、お互いの名前のシャッフル遊びに変転していくのです。各自の持つ名前は、「私」を構成しています。その名前を交換してしまうのですから、そこに、つまり私から私がなくなってしまうことになります。平穏に中学生活を送るために、やすやすと烏合の衆に甘んじるのです。それに異を唱えた真奈はいじめの対象になってしまい画鋲。それを知った牧さんは先生に知らせ、問題化しますが、二回目からの画鋲は自己防御のために自分で入れたことを牧さんが知ると、牧さんも真奈から離れてしまいます。10年がたって、恋人のすげない行為に「別れましょう」と告げたわたしに「画鋲の味はしなかった」とおわります。さて、真奈はどのような女性に成長したのか……。幸いあれです。  

石油の花

 藤圭子の「夢は夜ひらく」ではありませんが、「わすれられない奴ばかり♪」と綴ると、このような作品になるかもしれないなと思いました。これまで作者が書いてきた作品と異なる文体には新鮮な感じがします。おそらく業界紙の記者をしていた時、行数に縛りをかけられて、このような密度の高い記事を書いていたのでしょう。①で、全プ連次期会長選出問題の詳細な動向が描かれ、②で、燃料総合の掲載した【ソルテック片肺飛行へ】というヒット記事にまつわるもろもろの事柄が書かれています。③では趣を変えて、女性記者・塩月渚や、さえない男・小松のこと、強引なガス切り替えに出る不気味なエンマンのことなど、日常業務的様々が語られ、塩月も小松も浮世に呑み込まれていなくなってしまいます。この作品にある文体・リズムを活かすことができると、作者のこれからの作品に実り大きなものをもたらすのではないかと思います。記念作品になりましたね。