2017年10月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:10月15日(日)
  • 例会出席者:10名

明治文壇の群像 その13

 佳境に入った趣がします。『蒲団』のヒロインとなる岡田ミチヨの登場はいやがおうでもワクワクさせます。ということながら、一旦筆を転じ、今回の作品の重点は日露戦争時の従軍作家・田山花袋のあらましとなっています。紀行文作家である筆者の活き活きとした感じが伝わってきて、たいへん臨場感がありました。特に目を引いたのは、P166下段「想像してご覧なさい」の箇所でした。私小説作家の本領発揮の描写だと思いました。後に、作品中から読者に呼びかける手法は、太宰治に引き継がれています。すでに花袋がやっていたんだなということは、驚きでした。金州城攻略の第二軍に従軍したのですが、第三軍は乃木大将で有名な旅順攻略です。戦場にての花袋の行動は、どことなくトルストイ『戦争と平和』のピエールを彷彿とさせて、醍醐味がありました。  

姉まで十一年

 読みやすい作品ですが、読んでみると読みやすさに反してとても難解な作品に感じました。掃除をしないでいたずら遊びをしていた生徒に、「そんなことをしていると、夏休みがなくなっちゃうよ」と、わたしは言うのですが、シュールな言説に響いてきます。この一言と、タイトルの「姉まで十一年」の十一年の間隙が謎ですし、謎のまま終わっている感がします。十一年後の姉はどうやら、人から愛されることはできても、愛することのできない、愛されることを愛する女性になっていたのです。この挟間に「どんな理由があっても、嘘をついたらダメよ」がポツンと置かれている作品なのです。要は「嘘をついたらダメよ」ということなのでしょうが、嘘をつく場合も、つかない場合も、私と他者の関係のことで、お互いを認めなくちゃダメということかな、と思いました。  

昨日の民話 ― ひととせ

 民話というジャンルは、歴史的伝承を基になされるものですが、この作品では「昨日」となっています。つまり「今」という奥域になされた民話なのです。やや長文の多い文体で、しかも分節ごとの異化作用によって幻想的な世界を表現している作品です。みごとなものです。一月の作品「扉の冬」は『雪の町幻想文学賞』に応募された作品ですが、おそらく、この文学賞は「幻想」というよりは「ファンタジー」を意識した、賞の趣旨として町おこし的なコンクールなのだと思います。思い切って文学界とか群像、新潮といったメジャーな文学賞に一度応募されたらいかがでしょうか。『abさんご』の例もありますから、早稲田文学賞とか三田文学賞もよいと思います。空間や時間に制約されないのが文学的冒険であるでしょう。その意味でこの作品は文学です。  

もう少しだけ 二 ともし火

 この作品を読んで「涙が出た」とおっしゃった方がいました。よく読まれているのだなあと思いました。小説としてどのように書くかと、さぞかし作者は思いあぐねながらの作品でしょう。副題として「ともし火」と添えたのは、まさしく作者にとっての心の「ともし火」なのです。それにしても、この作品には作者にとっての主題があらかた俯瞰した形で出ています。母のこと、祖母のこと、叶わなかった恋、などなどです。「もう少しだけ」にはいろんな意味があると感じられました。もう少しだけ我慢すればという意味、または、あの時もう少し違う行動をとればよかったという意味、その他にもありますけれど、その結果の責任を自分に引き受ける様には「強さ」を感じて感動いたします。鳥の声、季節の贈り物、人の優しさに「ありがとう」と言っている作品です。  

田舎ありのまま (五) 隣人あり、家族あり

 この作品の特徴は、メリハリの利いた的確な描写にあると思います。文章にこの作者ほど主体をのっけられる人を他に知りません。おそらく人間に興味をお持ちなのだと思います。文章に主体を乗せ過ぎると、どうしても独りよがりになるものですが、細かな客観的描写があるためにリアリティーを持たせることに成功しているのです。それにしても、いかにも現代の農村の風情がいっぱいで、面白い作品になっています。立場正浩と澤田が主役の作品になりました。立場にとって澤田は無二の親友となって、この作品は幕を降ろします。めでたし、めでたしなのですが、そうもいかないのが現実なのでしょう。経済の歯車はなにもかもをかき回してしまいます。「夢ホームバンク」とは、名称のとおりならよいのですが……。シリーズ完結、ごくろうさまでした。  

タクシー運転手

 SF作品を作者は書きます。今回はAIと人間との、どちらがタクシー走行にて売上金を多く稼ぐかの競争です。よくよく考えてみれば、意義深いテーマだと思います。人間の発明において画期的な成果を収めたのは、車輪の発明だと言われています。その発明から3.000年を経た現代において、車輪文明=自動車から人間が不要となりつつあるのです。しかも、おそらくそれは10年後か20年後に迫っています。もちろん車の運転に限らず、AIの脅威は多数の職種、人間の労働に様々な変化をもたらすでしょう。今回の勝負では、結果的には負けたけれど、人間は実をとったように描かれていますが、さてどうなるのか、すぐそこにきている未来が心配です。タクシー運転手の涙ぐましい、気配り、心配り、おもてなし精神には、労働への賛歌が籠められています。  

オレンジ

 水彩画のように淡い、スケッチ画風な作品です。登場人物は、視点人物の井沢恵、吉村惣太、兄の井沢義男、それから直接は登場しないけれど父の後妻の徳子です。東京に見切りをつけて帰ってきた恵は、故郷の様変わりしたことに戸惑いつつ、その故郷を確かめるかのように自分の辿って来た道筋を辿り直します。惣太との淡い恋、馴染めなかった後妻の徳子のこと。惣太と徳子のことは、東京で暮らしていたときには空白のままであったのです。すべてが終わった今、どうするということもなく、ただ心にきまりをつけるために道筋を辿るのです。あえて惣太と徳子の関係に深入りしないのが、この作品ならではのよさでしょう。惣太の土産の「オレンジ」は象徴的です。外国種の果物であるということは、触れられなかった存在を確認しつつ、その一房を、また一房を……。  

娘の受験

「娘の受験」「サンマ」「ハスキーなサンデー」のエッセー三題です。面白いのは「娘の受験」と他の二題との間で、あきらかな緊張感に相違が窺える点です。娘さんが心身ともにすこやかに育ってほしいとの愛情が垣間見られます。父親って、娘さんにとってはありがたい存在ですね。「サンマ」がなぜ秋刀魚ではなくサンマなのか怪訝に思っていましたら、国際化した現代版の「目黒のサンマ」なので、どんでん返しのユーモアを感じました。さてサンデーです。一口にペットロス症候群と言いますが、それだけではすまないのです。ペットは嘘をつきません。単純なことですが、このことが実は大事なのだと思います。対話が成り立ち、友情が生まれます。人間同士だとこうも単純にはいかないのです。(人間に嘘をつく能力がなければ、もっと住みやすい社会になるだろうに)