2017年8月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:8月20日(日)
  • 例会出席者:11名

読書雑記37

 人間の書く小説か、それともAIの書く小説かで論じられていますけれど、根本的には人間とAIで共存できるのか、といった問題が控えていて、この「読書雑記37」はたいへん盛り上がりました。肉体を持たないAIの知性は、暫時、人間から離れたものになっていくでしょう。そのときどのような世界になるのかですが、時間はそれほど残されていません。2045年には、AIがあらゆる意味で人間を超えると予測されています。社会システムや経済活動がAIですべてコントロールされはじめた場合の、社会的なもろもろの政策は、現在のところ皆無です。格差問題や、社会保障の問題で手いっぱいな状況です。確かに、究極的にはAIに深い文学作品は書けないでしょう。けれど、AIにとって、文学そのものが価値のないものと判断されてしまうかもしれないのです。  

旅行

旅行は未体験ゾーンに足を踏み入れるほど、楽しいものです。それが「かんなみ新地」で、「赤線、青線もこんな感じなのかな」とありますが、おそらくここにあるのは「青線地帯」の現在の状況なのだと推察します。おしろいの匂いのする街というのは風情がありますね。化粧のことはよくわかりませんけれど、なにしろ古い人間ですから「おしろい」の匂いはわかります。女性の匂いです。ライトアップ、ウィンドウショッピングとカタカナ語が、いかにも現代を彷彿とさせます。「帰る途中で買った三色だんごが旨かった」は、なんだかほほえましいですね。緊張した体験の後では、食欲も旺盛になり、たいていの物は、普段の何倍もおいしく食べられるものです。せっかくの旅行体験なのですから、紀行小説文風に、10枚から15枚くらいすることをお勧めします。  

落陽

『さくさく67号』で読んだ詩や短歌の雰囲気と、この小説はガラリと趣が変わっていて、同じ作者であることに驚きを感じました。とてもよい作品だと思いました。登場するのは、東京から研究者になる夢をあきらめて故郷の新潟へ戻ってきた亮介、姪の瞳、高校の同級生であった綾香の三人です。亮介と瞳の関係が妙に危うく描写されているのは、田舎にはない東京の雰囲気をまとった亮介に対する尊敬と憧れからくるものでしょう。生きた言葉がいくつも描写されています。わざとホースの水を自分に被った瞳を、「夏の真昼に輝いた」は、亮介と瞳の関係を描いてうまいです。綾香さんの花火に誘う場面、「あ、わたし独身なんだ」は切なさが現われています。また、瞳の「この野郎!この野郎!」からは、瞳の亮介に対するエールに聞こえました。作者は小説向きです。  

雲南恋情歌 二

 スケールの壮大な時代小説です。豊臣秀吉の朝鮮侵攻、明との合戦を経ての撤退時、日本に帰らず明にとどまった武士、雑賀衆である龍星の、今度は明との戦いではなく、明を守る奮戦ぶりが、ミャオ族の女武将である雲嬌との恋情の上に書かれています。恋愛を主軸にしているため、歴史的な細部がいくぶん曖昧になっているように感じました。確かにミャオ族は魅力的です。歌垣などの文化は日本と共通するものであり、鳥居の文化もミャオ族経由なのではないかと言われています。なお、龍星個人だと思われていたのに、合戦場に「雑賀衆」の集団が突如として現われるのは、なんとなく不自然です。馬上にての鉄砲射撃も、蒙古の馬上戦を彷彿とさせて、日本にはなかったことなので、「いかに?」と感じました。長編のための枠組みを探っての作品なのかもしれません。  

怨恨鏡 二

 タイトルで「怨恨鏡」というからには、最終的には、その怨恨から掬われるのだろうと、途中ながら読んでいます。この作品にて書かれているのは、真知子とミツの視点でのあれこれです。真知子は昭和二十年代の家族の葛藤を、ミツは男と女の、この時代の崖っぷちに立った生き様を表現しています。家父長制から民主主義の時代への過程にある作品です。真知子の父親の登場が少ないとの意見が出ましたけれど、起こっていることのすべてに父親は関係しているのであって、寛容な父親像であるとともに、もしかすると混乱の張本人なのかもしれません。(否定された家父長制の、家父長制的存在者として)。今のところ、「怨恨」は静江一人にかかっていますが、ページが進むに従い、全体にかかってくるのでは…。この作品自体が「怨恨鏡」になると、小説は大成功です。  

シンデレラ

 冒頭の、心の内なるパリが描写されて、「自称、熱血ガイドの真喜幸一君はホテルのロビーで客を待っていた」と本題に入っていきます。この一文が、作品の構造をよく現わしているでしょう。真喜君を、真喜君と呼ぶのは、時間を隔てて見ている「私(後の真喜君)」なのです。回想作品なのですが、かなり巧妙です。真喜君はパリ在住で、おそらく現在の真喜は日本に在住しているのです。熱血ガイドと真喜君をいう言い方には、パリ時代の自分への郷愁のようなものを感じます。日本人である真喜君が、日本からの観光客を要望に応じてガイドをするのです。若い女性はパリの歴史には興味を示さず、「商品」だけが意中にあります。それに反して、栃木のおばあさんはパリをパリとして観光します。ガイドたる真喜君は、この時、自分の中の日本人を自覚するのです。  

話しの小箱

 今回の作品を読んで、ほとほと感心しました。これまでの作品に俳句はでてきておりませんから、たしなまれていないのでしょうけれど、もしも俳句をやっていて、座を囲まれたならば、その場のスターになるのではないかと思いました。スピーチも俳句も、その場を瞬時に見てとり、その見立てを場に返すことで盛り上がります。決してへつらうことなく、異質なものを対置させることによって、うまくその場と合致させる才は、才能としか言いようがありません。見事なスピーチの才をお持ちなのですね。不意のスピーチ、自分を笑い物にして笑わせる機智、どのような状況であっても前向きな方向を示すことのできる指針者。みごとなものです。作者は、家庭ものと会社ものとで、顔がちがうのですね。家庭では妻を立て、会社では会社を立てる、感心します。  

ぺースメーカー

 ユーモアたっぷり作品だと、皆さんからの共感を得ました。「赤毛でパンチパーマ。オコゼのような顔をして、でっぷり太った初老の男」という姿形は、確かに笑ってしまいます。このような方を滅多に見かけないわけではなく、新宿とか池袋の繁華街を歩くと、一人くらいは出会います。さて、ペースメーカーが体に入っているとのことで、電車の自分の座っているボックス席から、電磁波を垂れ流すスマホを操る者を撃退するのです。その病人だという男が、妙に元気なのが、描写されてのおかし味です。なにしろ、乗り換えのときには「駆け足で向かう」ほどの元気ぶりなのですから…。いつもはブラックユーモアを書く作者が、今回はストレートにおもしろい作品なので、ほぼ全員が支持されました。ところで電磁波は害があるのかないのか、どうなのでしょう。