2017年2月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:2月19日(日)
  • 例会出席者:13名

映画日記 44

 映画日記の映画日記たる所以は、個々の作品についての感想がワンポイントでなされているところかな、と思いました。「結びつきを信じたいのが山田洋次だ」「救いを排したリアリズム劇だ」「3Dにふさわしい素材だ」などなど。P193の〈ショートフイルム〉の箇所は、小説でいえば短編作品に相当し、短編作品の醍醐味は文体論とか文学論の結晶のようなものだと心得ております。ですので、ここの部分で映画論みたいなものが展開されると、当方の映画にたいする考えなど開眼されることになるやも…。『シチズンフォー スノーデンの暴露』には興味を持ちました。米国のオリバー・ストーン監督もスノーデンの情報漏洩映画を撮っていると話題になっています。『プラトーン』はベトナム戦争の映画ですけれど、このスノーデンに関する映画は、誰が誰に対する「戦争」なのか、未来に私たちがどんな世界をイメージするのかを試しているのかもしれません。

五線の言葉

「手帳に/五線が書いてあった」ことから、その暗号のごとき五線を読み解くことに「僕」は情熱を注いでいきます。結果的に、その「五線」は綾取りのことだとわかります。五本の線は、五本の指に相当するのです。おそらく、この「綾取り」から逆算するような形で、この作品は書かれているのだと思います。僕、母、義父、祥子、ユウカ、この登場人物も「五」という数字のもとにあり、互いの心が一本の糸でつなぐことができたなら、との思いの込められた作品なのではないでしょうか。その作品構造の発想はすばらしいです。謎解きの段階では成功しているのですが、細部になると、どうも結論ありきが先行してしまい、ギクシャクした読後感となってしまいます。父の死、父と祥子の関係、母の父に対する嫉妬心の実象、僕と母との関係、それぞれにおいて絡む指をなくしてしまっているように感じるのです。五線の奏でる心の音楽は響いてきました。

山嶺の菫

 詩でもあれば、散文詩であり、小説、寓話作品です。いかにも幻想作品の構えをしているでしょう。人形は崖を登り菫を摘んで帰ってきますが、その摘まれた菫が、この作品においては見届人となっているのです。菫は人形の代弁者でもあります。人形と白粉の人形、人形は紅をさしており女、白粉の人形は男と読みました。二人の人形は紅白で、結婚の象徴です。赤い子は赤ちゃんでしょう。その生活は無時間のうちに展開されていきます。分節化した言葉が、時間をつくることを拒否しているのです。あるいは、分節化した言葉に行き場はなく、語られる瞬時に、別の言葉に塗り替えられ風景となります。作者から綿密な構想があっての作品ではなく、自分の感性に沿って書いたのだと伺いました。1で、人形と白粉の人形と赤い人形が現われています。2では、菫の位置に人形が立ち、共に「口笛を吹く」という行間にすべての幸福を浮かばせ、春です。

 随筆らしい随筆です。抒情性があり、丁寧な蘊蓄も含まれ、いたれりつくせりといった感じです。その上、前回の岩魚と、今回の鮎とは作者の思いみたいなものがたっぷりと仕組まれていて、なるほどなあと感じ入りました。岩魚は男性性。鮎は女性性の対比があります。釣り師である作者は、鮎のことをとてもよく知っています。その釣り方、また鮎は一年生であること、合評会に出席された方のほとんどが、鮎は一年しか生きないのだということを知りませんでした。これほどしっかりと書きながら、ふっと感じたのは、作者は鮎を釣ったことがないのではないかとの思いです。鮎とは作者にとっての「初恋」みたいな存在なのではないかと、想像を膨らませてしまいます。失われた初恋、ただただ純粋に思い、大切にしてきたもの、それが鮎釣りに込められている。そのように感じられてなりません。冒頭の夢で始まって、また夢で作品を終わる。味も香りも姿も…。

終電車

 直美と羽村悟の、とっくに破綻した筈の昔の恋を確認する、点描のごとき一風景が書かれた作品です。三人称で書かれた一人称的作品で、直美の視点で書かれる視点の緩急には濃密な筆さばきを感じます。ややもすれば、直美から見たところの羽村は踏んだり蹴ったりの描かれようなのですが、ところが羽村を描く筆さばきが詳細になればなるほど、かえって視点人物たる直美が描かれることになり、不思議な逢瀬となります。直美にとっては多くの収穫があったといってもよく、マックスマーラのコートを羽織って出かけた甲斐があったというものです。「夜になると眼の色が変わる」「匂い椿」は、直美の直美たる所以です。作品は、唐突に大団円を描き、ハッピーエンドに終わってしまいますが、これは長編だった作品を『さくさく』仕様に短縮したためで、本来はこの倍以上のページ数の作品なのだ、そうです。登場人物の発する声は、いかにも小説になっています。

町内会戦争

 今から数百年後の世界、われわれはどうなっているのか、そんな目論見のもとにユーモアたっぷりに描いた「SF・老人」小説です。二百歳になってもまだまだ元気なのには勇気をもらえますが、地球上には若者に見捨てられた老人ばかりが残されている、という経緯には「さもあらん」という思いがして暗くなります。年齢が年齢だけに、明るいうちに少し戦って、夜は「お休み」という戦争で朗らかです。それにしてもやはり〈関ヶ原〉ではありませんが、東と西との戦争になるのですね。気になるのは、勝ち進んだ東軍と戦った老人たちは皆死んでしまったのだろうか。もしもそうだとすると、東軍・西軍が戦った後には、ほんの僅かしか人(老人)は残らず、死滅してしまうのではないかと心配です。もっとも、死者は機械人間となり千年も万年も生きるのかもしれません。ここに書かれた筋道にそって、いろいろなエピソードや物語を構成すると超面白くなります。

難路

 冒頭の入り方は、かなり仰々しく、肥後熊本の小藩で儀式全般をつかさどっていた家柄に相応しい名前、赤星安茂なる主人公を登場させます。父はその血筋に適ったところの陰陽師の安倍晴明の研究家ですけれど、安茂にはなんの取り柄(超能力)もありません。通称パンチなる不良に終止いじめられます。その上みじめなのは、出会う女性のすべて、恵美にしても玲奈にしても、みんなパンチの女になってしまうことです。金と女を巻き上げられる不幸。唯一、相撲部の吉崎によって救われますが、単に一息つくといったところでしょう。作者の書く「息子」はこんな感じが多く、「娘」を書く時のような配慮がありません。もしかすると、男は失敗してこそ強くなるという、どこか親心の与える試練のようなものが顔を出しているのかもしれません。現代の若者を表現するための足慣らし、筆慣らしのための習作なのかも…だとすると、これからの作品が楽しみです。