毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
★印を数えてみたら、43作品についてのコメントです。〈映画日記43〉で43作品は偶然なのでしょうが、数字の偶然の一致をおもしろく感じました。初めて合評会に出席された酔翁亭さんが、SKさんの継続力に、すごいエネルギーだな、と感嘆されていました。確かに…です。小栗康平監督の『FOUJITA』について、もう少しコメントがあるとよかったかなと、個人的には思いました。小栗康平は小津安二郎監督の弟子だそうで、それとなく苗字の「小」と名前の「康・安」に偲ばせた師弟関係が窺えます。『泥の河』なんかと比較すると『FOUJITA』の現代が解かるかも。もっとも、そんなことまで記録すると、これだけの作品を列挙できなくなってしまいますが。『オデッセイ』は★印5つの作品です。末尾に「今や米国にとって最大のパートナーは、中国である」とあります。トランプ大統領が誕生した今、その両者に争いの起こらないことを祈るばかりです。
不思議な作品です。記号化して考えると、まずA1である「私」が存在します。A1はBと結婚します。二人の間に子供A2が生まれるけれど、AとBは離婚してしまいます。A1とA2の父子の生活。やがてA2は成人しCと結婚。二人の間にA3(啓太・寛太)の双子が生まれますが、父のA1と同様にA2は離婚するのです。反復がみられます。重要なのは、このA・B・Cの間に、心と心の関係を築くことはがないことです。というのも、どこか運命みたいなのからの視点で人物を客体化しているからです。その客体化された人物は「孤独感」だけを主観的に持っています。結末は、またしても不思議です。〈急に眠気がおそってきた〉、〈「私」とは、「運命」という必然によって生きる「あなた」なのだ〉、哲学の感じがします。この「あなた」をBとかCにとれば、男と女の「情」みたいなものに対する憧れ、つまるところの母なるものの存在をうかがわせ、落ち着きます。
ご近所関係の付き合い方の難しさが書かれた作品だと思いました。最初のトラブルのような、ターバン姿をした遠い国の人なら引越しをすれば問題は解決します。ところが国の場合は引越しできないのですからやっかいです。やはり引越しできない不動産をめぐっての黒田夫妻と白夫人のトラブルがメインに書かれた作品でしょう。白さんが戦前においては黒田の姓名でしたと自己紹介するあたりは、ユーモアがあって、なんだかホッとさせます。けれど戦前の歴史が陰に陽に現われ、「白黒」つける展開となります。おそらく、このところ冷え込んでいる日韓関係を憂いて作者は書かれたのではないでしょうか。後半の暴走族、そして暴走族から助けてくれた、今ではアメリカ国民となっている韓国人へと進みます。トヨタと韓国の自動車メーカーが登場し、なんとなく、よきライバルとして当分の間、競い合う関係が保たれれば未来はある、といった希望で終わっています
とても構成の整った作品です。「高校三年の夏休み、僕は新潟の小出という町の禅寺にいた」と起こされ、次に「話は少年のころにさかのぼる」とふって、少年時代から現在までの「僕」のことが書かれるのです。この構成は自ずと、「高校三年の夏休み」が僕にとっての心の源点であることを示しています。子供時代の釣り遊び、社会人となっての釣り仲間、そして一人で体験した山釣りでのヤマメ、その後、自信を得た僕はイワナ釣りに挑戦するのです。海釣りを狩猟民族的な釣り、山釣りを農耕民族的な釣りと分類していますが、この点は作者の「気持」を優先させたもので、実際にはちがうように思いました。もっとも、このことはよくわかります。作者が奥只見に踏み入らないのは、「大切なものを犯してはならない」との思いによるもので、自然を大切にする縄文的な思想なのでないかと思います。自然が描写されている文章は心が癒されていいですね。
作者は謙遜して主張しませんが、何事かに挑戦している作品のような感じがしてなりません。三人称で書いた「です・ます」調の文章。一人称視点の「る止め・た止め」の文体。この二つが混在して書かれています。では、混在したこの作品の視点はどこにあるのでしょうか。それはトモエさんの孤独なのではないかと感じます。まあ言ってみれば、トモエさんが自覚できない孤独を、作者が作品の構造を通して鏡に映して見せているのです。「誘うような、包み込むような優しい闇。音もなくて不思議な安心感があります」の表現に、そのことを感じます。微妙なものを含みつつ、作品はトモエさんとトラのコンビで未明の中を進みます。一番、ものの気配が支配する世界です。ホームレス画家の出現は唐突です。確かに効果的ですけれど、むしろ作者のトモエさんに対するサービスのような感じがしました。作者の、作者の奥様に対するメッセージのようなものとして……。
一年ごとに更新される契約社員である青木真理子の視点で、その一年間の顛末を表現した作品です。登場人物は真理子と相川福美(すみれちゃん)の二人で、その他に展開に必要な不動産屋と、おせっかいで噂好きなアパートの住人・安田が登場します。あさひ荘の建て替えのため追い出され、新しい今井ハイツに引っ越した真理子は、隣のいつも静かな様子に心ひかれながら毎日が過ぎて行きます。そこで目にしたのは「パラソルハンガーと二色の毛糸玉」なのですが、いかにも象徴的であるでしょう。三十代後半の福美と四十代半ばの真理子の日常が、パラソルハンガーによって廻っているかのようです。なお、黄色と緑の二色の毛糸玉ですが、黄色と緑色は補色関係にあり、黄色が消えると網膜に緑色が浮かび、緑色が消えると黄色が浮かんできます。もしかすると黄色が福美で、緑色は真理子なのかもしれません。それゆえに真理子は福美が気にかかるのです。
かなり多様なものを含んだ作品です。随筆とかエッセーとかいうものは、「私」の思いを伝えるのが一般的な書き方となっています。この作品にては、問題を提起しながら、その論の結論のようなものを次々と自分で出していきます。もしかしたら何らかの方法論なのかもしれません。文章上の句読点はありますが、論の句読点がないために、いくぶん、わかりにくいところがあります。とは言っても、筆力があるために一つひとつの論は明解で、なるほどと納得する箇所が多数あります。収束点は、「今世紀の日本における「道」を表現し、新しい芸術性の創造を活性化するための文章「書」を作る必要がある」なのかなと、推測しました。このことが、一般に言われる文学的方法論のことなのか、それとも別の視点からの問題提起なのかはわかりません。もしかして、文学に限らない、総合的な解決軸みたいなものの模索だとすると、かなり難しくなります。