毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
恋愛の駆け引きを電話にて描いた作品です。「電話→出んわ」の言葉掛けのユーモアがどことなく含まれているでしょう。「私は電話を待っている」「私は電話をかける」「かかってきた」の、3つのコーナーから構成されています。主語にとった私を、女、男、女と相互に交代しての掌編小説で、読者に、あなたならどのように対応しますか、といったドキドキ感を湧かせます。さて、電話がかかってきました。ところがその時、ふっと、「愛の駆け引きが降りて」きてしまったのです。電話にでない。無視する行為に私は出て、彼を試そうとするのですが、裏目に出た場合も想起され、なんだか自分を試すようでもあります。もしかしたらすべてがご破算になってしまうかもしれないのですから。彼の気持、彼女の気持、が受話器の向こうに息づき、私は自分を「大丈夫、私は愛されている」と強がってみせるものの、と締めくくられています。さて、愛は強められたのか、それともお互いの間に隙間風が吹くようになったのか、なかなか意味深な電話です。
文章のセンテンスが長く、複雑な思いみたいなものも書けるのだなと感心しました。作品に添って文体を工夫できるのも、とてもよいことです。タイトルの「コンプレックス」は、作品を読んだ後では、微妙な劣等感を抱いた同志感のように思いました。視点人物は「サチエ」ですが、作品の主人公は「美容部員」の女です。この美容部員から女優の片桐はいりをイメージしました。彼女の容姿を個性的と表現していますが、美容部員としては規格外ということでしょう。その規格外の美容部員がとても親切に接客するのです。この部分はかなり見事な描写がなされています。末尾の「こちらをキュッと、睨みつけている若い女性がいる」が、この作品のキイー・ポイントでしょう。お客と仲良しになるけれど販売促進につながらない「美容部員」はお荷物なのです。そのことを身を持って知っている美容部員は常日頃から「コンプレックス」を持っているのです。同志意識を持つに至ったサチエも、そのコンプレックスのお相伴に預かったという作品でしょう。
今回は家族旅行の一コマです。その「家族旅行」の「家族」の部分がやけに気になりました。視点人物である我が家の主人たる「僕」、「妻」、「娘二人」、それにスワンの家族五人での旅行です。この旅行の主役はスワンで、スワンは初めてのことではないでしょうか、言葉を発っしています。視点人物の僕に息子ができたようなものです。女三人のところへ、男二人が定着した、まことに和やかな家族旅行でしょう。スワンは白鳥ではない、我が家の愛猫であると言いながら、これまでのスワンからは「スマン」の音がこぼれてきて、どこか僕の心の代弁者のような感じがしていました。これからますます、僕とスワンの男同志の会話が交わされるようになると、「我が家」の家族関係はいっそう複雑な多角形になっていくでしょう。もっとも、猫の縄張り感覚という表現を目にして、スワンが平穏に旅行を果たせたのは、すでに我が家はスワンの縄張りで、僕、妻、二人の娘はすっかり縄張りの内側のことなので、それで安心して行って来られたのかもしれませんが……
とても読み応えのある作品でした。自然主義風の書き方をした、回想の一品です。特にうまいと感じたのは冒頭の部分です。最初に「ヌエの図」の描写をすることによって、子供のころに感じる何でもありの世界を端的に表現しています。続く、天狗の面、お前は橋の下で拾った子、父と母の仲、海水浴の「浮輪事件」、その青い浮輪に誘われたかのように回想が綴られていくのです。個々のガキ大将ぶりは、いくぶん書き過ぎのような気がしましたが、まあ、しっかり助走をとった結果なのでしょう。隣の駄菓子屋のおばさんの描写を経て、磯部真希のことが書かれていきます。義兄妹の一度限りの過ちなのですが、結果的にそうなのであって、その時には普通に男と女だったのです。この辺りから、冒頭に置いた「ヌエの図」のイメージが活きてきます。僕と真希の関係を描写するのはとても難しい面があるけれど、作者はかろうじてそのことに成功していると思われます。妹を支え、妹の幸福を見て、僕は老年を迎えているのですから、これも良し、幸いな「あのころ」です。
現代において、二十年前に起こったオウム事件を題材に、なおも残るオウムの影を書いた作品です。もう一つ、里香と慎一の恋愛小説ともとれます。もっとも、作者は、優れた知性を備えた若者が、なぜオウムに惹かれたのか、そこのところを書いてみたかったとのことでした。作中に出てくるベンゼン環がキーワードのように思いました。そのベンゼン環に他の物質がつながったり、またベンゼン環が切断されることによって、他の何かが連鎖する、いわば壊れた社会の現象をそこに見つつ、試行錯誤する思考を表現しているのかもしれません。人間は「私」を捨ててしまうと何でもできてしまうのが、怖いです。挑み甲斐のある作品だと思います。一方で、ややストーリー展開のために使っている趣のある里香との恋愛の方に興味を持った読者は多く、確かに、この部分だけでも小説になります。末尾にある、「この雨は、ほんとに昼過ぎには止むのかな?」は、オウムを超えてますます混迷を深めている世界をも窺わせる、深い叙情の言葉だと感じました。