2015年3月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:3月15日(日)
  • 例会出席者:14名

映画日記 38

 作品に先立っての「語られるものの本質に気付くためには、氷の城を自発的に解凍する必要がある」には、その通りだと納得しました。正論です。正論を世の中の全ての人は求めているのだと、思ってもいたし、信じていたのですが、意外と、そうではないのだと気づいたのは、相当大人になってからでした。正論が通らない社会だけれど、その社会が機能していることも事実で、不思議なことばかりだなと思うこの頃、2015年をそのように見ています。ということで「映画日記」に入りますと、今回は一押し作品がなかったのかな、と感じたしだいです。37作品中、★印4つが4作品、★印2つが2作品、残る31作品は★印3つでした。こんな内容の作品なら観たいなと思ったのは、第2次世界大戦後、済州島の民衆が武装蜂起した映画「チスル」です。どちらかを悪と決め付けてしまうと物事は単純化してしまいますが、検証するとそれでは済まない様々が見えてきます。

書く喜び、読んでもらえる幸せ

 先の「さくさく50号」の折には特集号を組んだものでした。でも、この60号では企画もなく、それをいかにも寂しく作者は感じられたのか、自らの「文学市場」体験模様を綴ってわがサークルを紹介しています。タイトル「書く喜び、読んでもらえる幸せ」は、文学市場のモットーを一人の会員の立場になって捉えた言葉で、このタイトルこそ、作者が述べようとした主旨でしょう。たいへん的を得た文学市場紹介になっています。作品を書くことは、実際には苦しい作業です。この苦しさを乗り越えて作品が形になった時、「とにかくやった」という達成感を味わうことができます。しかも、その作品を読んでもらえるのです。合評会は同人誌にとっての重要な場であります。遠距離会員の方は作品にての参加になる訳ですが、表現された作品を通して、その方の「表情」や「空間」までも想像させられ、これも一つのあり方だなと思います。文学市場は「青空市場」です。

第十位

 着想の複雑な作品です。テレビの「ザ・朗読トップテン!」という突拍子もない仕掛けのもとに、語るものと語られるものとの間の相互性を描いた作品でしょう。かなり「マグリットの絵」というのが核になっています。それに「十五・十六・十七」となると、ある年代にとっては藤圭子を連想してしまいます。「十五、十六、十七」でなく、「・」でその年齢を表示しているのも、時間の不連続性を意味しているかのようで、考えさせられました。それに、「無花果」で表すところの、無性的誕生としての「無花果万里子」を現出させているのですから、いかにもシュールです。パパはいかようにも単なる男になり得るし、万里子は男装した男になり、また女に戻り、さらに平凡な女子高校生にも変身できます。現実を無意味化して、そのナンセンスの上に物語を展開したのが、この作品でしょう。この後、「第九位」「第八位」はあるのでしょうか。(勝手な期待です)

蛇足十世 ―雪山童子

 見事なものです。この「雪山童子」と「群鬼図」は一対の絵として、例えば、かの「風神」「雷神」の屏風絵を彷彿とさせます。肝心なところだけを書きますと、村田彦左衛門に頼まれた「雪山童子」の絵をどのように描いたらよいか思案して、継松寺の本堂で昼寝でもしようと立ち寄るが、そこで回心なる僧と出会うのです。P238下段3行目から5行目の描写は圧巻だと思いました。「ようやく娘の顔を思い出した」、この瞬間、絵は蕭白の心の中に出来上がったのです。絵ができるということは、娘にしても、さらに蕭白にしても救われたということで、仏画の仏画としての所以なのだと思います。気になったのは、回心なる若僧の存在が夢幻だったのか現実だったのか、あえて描写していませんけれど、そんな詮索は野暮というものかもしれません。天才絵師蕭白、蛇足十世を書くのに、人間臭い側面を多く書き込んでいますが、この辺りも、作者のこだわりなのかもしれません。

詩 憧憬・望郷

 二つの詩は対になった作品のように感じます。「憧憬」を書き、次の日に「憧憬」を土台にして「望郷」を書いた、そんな印象を持ちました。「憧憬」はとてもやわらかな言葉の詩だと思いました。なんと言っても、「ふわりと離れるように/息をしてみる」は、詩的世界を啓いています。自分の存在や自意識から離れることは、自分のすべてを捨て去る以外にできません。つまり、「ふわり」としかできないのです。すると自分を捨てた自分がそこに現われ「息をしてみる」のです。〈息をする〉、この言葉はリアルで美しいです。この「息をしてみる」の詩的なリアル感に相当する言葉に、「歩いていくことが/あの丘へ続く道であるなら」の「あの丘」が該当すると思いました。「息をする」も「あの丘」も平凡な言葉ですが、その平凡な言葉に『美』を付与するのが詩なのでしょう。「望郷」に関しては、いくぶん散文的になった分だけ、理解しやすい詩になっています。

二重惑星 その三

 いよいよ佳境に入った感がします。P111の戦争の概略文などは、この作品の本質部分に相当すると思いました。それにしても難しいですね。整理してみると、平行宇宙で戦争が起った、最終兵器が使用され決着がついた、しかしどさくさに紛れてこちらの平行宇宙に逃げ込んだ種族がいる、その種族と天野たちは現在闘っている、となります。となると、天野たちの戦っている敵は未知の生命体だということになり、「ジキ星人は平行宇宙へ自由に行き来できる出入り口をつくった」という、「ジキ星人」の表記は矛盾に思いました。ジキ星人は濡れ衣を着せられた被害者なのではないかと読みましたから…。二つの平行宇宙とは別につくった「二重惑星」は、ますます謎に包まれて、さて、これからどのような展開をみせるのか、作者の腕の見せ所ですね。奇想天外な発想力には脱帽します。なんといっても、楽しんで書いている作者が目に浮かぶようです。

老相場師 その一

 おもしろいです。現在の人間にとって大事なものはお金です。ほんとうはいつの時代でも家族が一番大切なのですが、その家族を守るためには、農耕時代とは異なって、現代ではお金がなければ生存できなくなってしまっているのです。この作品は投資を通して、そのお金の変遷を目に見える形で提示してくれます。古典的投資、ちょっとしたシステム的な隙間を見つけての投資法、そのことを書くことによって、お金の制度がどのように変わってきたのかがよくわかります。結論は、個人投資家はもうからない、となります。このことを私たちは考えなければいけません。貯金をして、利息を貯めて、人生設計をすることができた時代は、ものの見事に失われてしまったということです。怒涛のごとく吹き荒れる現代の投資の世界では、1円も1億円もまったく同等な単なる数字でしかなくなっています。プラスかマイナスか、それだけが問題なのです。