2014年2月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:2月16日(日)
  • 例会出席者:8名

わが家のスワン 1

 ある種の「幸せにおける横暴」とでもいうのでしょうか、何でもない日常の逸脱しない「政治」みたいなものがよく書かれています。ゴッドファーザーは名付け親。つまり、窮地を名付け親の地位を獲得することによって、場を支配する位置にパパたる「僕」は逆転勝利したのです。しかも名前を付けること自体に権威を持たせるなら、その名前は突飛な、猫の名前にふさわしくないような名前の方が、より名付け親の力を印象づけることができるのです。その結果がスワンです。確かに、その名前は居心地のわるさを感じさせます。なにしろ白鳥なのだし、猫を白鳥と呼ぶことには誰でも違和感を持ちます。もっとも、この命名によって勝ち得た名誉の儚さも同時に感じさせます。妻、長女、次女、敵は多勢なのですから。でも、その負け戦を幸福と思えるパパこそ、家長たる威厳を却って発揮しているのかも……

おいしい教室

 タイトルの「おいしい教室」のどこが「おいしい」のか、なかなか読み取りづらい作品になっています。「先頃亡くなった思想家の…」が何となく重要な要素かもしれません。「楽しいことは楽しいだなんて、言ってる思想家がいたら、たたかれちゃう」なのです。だから、まずい料理をまずいと言ったら「たたかれちゃう」から、「おいしい教室」と看板を張ったのでしょう。そこで、目には目を、歯には歯を、なのでしょうか。まずい料理をまずいと感じ、いやな性的誘惑を断った妻の二葉は、おそらくは駒田によって交通事故を装い殺されてしまったのです。その妻の復讐を、仲間とともに果たそうとするのです。駒田の肉体を料理台の上で切り刻もうと……。ストーリーはエンタメ的で、文章の運びは純文学的です。そのため読みづらいのかもしれません。有名な思想家とは、あの『情況』論の思想家でしょうか

リーブラ

 冒頭の五行があるから作品をまとめているけれど、それにしても難解な構成作品です。月は白い雑居ビルの上に金色にかがやいていた、のです。この月がきえてしまうところがミソだと思いました。誤読を覚悟で解釈すると、この作品の前半は「生と死」を天秤にかけ視ているのです。白ビルは生、黒ビルは死として。死んでいくものと生まれてくるもののシンメトリーがあります。「あります」という他者的な視方で表現した作品だといえます。そこで直言すれば、月とは妊娠の象徴なのです。その月がきえる、堕胎が前半の出来事でしょう。後半の天秤の上に計量されているのは私自身で、そこには男の性と女の性とがかけられているのです。かわき過ぎた男の性と、濡れ過ぎている女の性です。前半と後半とでは非対称になっており、そこが難解なのです。かなりエロチックで、エロの抒情を湛えて美しいです。

マリは燃えているか?

 とてもよい随筆だと思いました。自分の思う事を書くのが随筆ですが、思うとは社会や世界の事で、その社会や世界とのかかわりを自分の事として表現することにより、その時の出来事を客観にすることが初めて可能となります。作者の生きた時代が活き活きと感じられます。それにしても食道楽は自慢してもいやみはならないものだと、この作品を読んで学びました。確かにおいしいって、皆一様においしい共感をえられるものなのですね。パリ祭も懐かしい言葉となりました。圧政からの解放、民主主義ですが、それがパンツの下ネタに移り、強烈な体験を綴っています。ユーモア感たっぷりです。書かれたことに、ある年代の方達にまではわかるのですが、若い方には焦点ボケを起こしてしまうみたいです。年代、何時の事かみたいな年代明記をされると、よいかもしれません。

元旦に囲んだファミリー

 ほのぼのとしたお正月行事です。タイトルも熟考されています。普通に言ってしまえば「元旦の家族麻雀」なのですが、麻雀よりも、「家族で囲んだ」の方に思い入れがある作品なのです。それにしても麻雀を正月にやるというのは、いかにも正解なような気がします。麻雀は天界のゲームです。最初に東南西北と場所決めをします。なんとなく当たり前に思ってしまいますが、このことをよくよく考えると、奥深いものがあるのです。天を見上げ、そこでの東南西北を、天の方位として盤面に写すがための不思議なのです。現実において東の右手は北で、北の右手は西、西の右手は南、南の右手は東のはずです。つまり、東北西南となるのです。天界の並びの東南西北で、勝ち負けは天意である、とするのが麻雀です。新年の天意を家族でお伺いを立て心新たにする、よいファミリー行事でしたね。

新雪国紀行(上)

 作者独自の作品趣向です。川端康成の「雪国」はすでにある文学作品で、その世界を現代に移し紀行する主人公の遠野が「雪国」を自らの上に再現、「新雪国」したのがこの作品でしょう。「新・雪国・紀行」なのです。作者はもとから風景描写に優れた方ですが、さらに磨きがかかってきていると感じました。しかも、この作品では新たに会話にも鬼気迫るところが伺えます。「わたし、雪が好きなんです」に至っては、川端の「いい人って、いいわね」(「伊豆の踊子」)を彷彿とさせます。後半になると、遠野とユキの関係の進展に焦点が絞られ、やや「雪国」の風情から離れたような感じもしますが、これは次の段階に進むための布石なのでしょう。昭和初期の「雪国」と、平成の「雪国」との差異なのかもしれず、ここに作者のオリジナルがあるのだと思います。作者、渾身の一作とみました。

宇宙の玉手箱

 童話ということで「です・ます調」の文体を駆使し、読者である子供に語りかける作品になっています。浦島太郎の物語の「玉手箱」を、現代風に科学するとともにアレンジした作品でしょう。時間の不思議を目に見えるように造形して、私達に示してくれています。もしかするとヒントとなった浦島太郎よりも教育的に健全な内容の作品なのかもしれません。なにしろ、浦島太郎は「いい思い」をしたというだけの物語なのですから……。約束は守らなくてはいけない、と言う真一君。行動的でおちゃめなさやかちゃん。人物に好感が持てます。真一とさやかの子供である星男君も親子の情と心に目覚めているのです。よくよく考えると、過去星(紫星)と未来星(地球)との間で、時間のギクシャクがありますが、その矛盾を感じさせないだけの読ませる力のある作品です。