2013年11月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:11月17日(日)
  • 例会出席者:12名

映画日記 34

 今回も沢山の作品が紹介されています。数えてみたら総数40作品に上りました。そんな風に客観的にこの「映画日記」を眺めていたら、今回の特異さに気がつついたのです。特異さ、とは違うのかもしれませんが、★印の数、それも五つ★の数についてです。五つ★の作品が三つもあることも稀なことですが、その三つともが邦画であること、そのことが特異なことであり、画期的なことなのです。タイトル・ナンバーにあるように、今回で34回目の映画紹介なのですが、おそらく邦画の五つ★独占は今回が初めての快挙なのです。もっとも、単に、そういう発見をしたということです。『演劇1』『演劇2』、『おだやかな日常』、『東京家族』の三作品の、それぞれの据わりのよさにも感心しました。観てもいないで批判するのはなんですが、アメリカの『ゼロ・ダーク・シティ』には、民主主義と法の理念から逸脱してしまっている、と感じざるを得ませんでした。

旅と息子と

 父親を万能のスーパーマンだと信じていた息子、その息子から、イギリス・フランス・イタリアへの「支店長就任ツアー」に際し、各国の言葉で絵葉書を出すことをせがまれ悪戦苦闘する様、その四年後の、息子との英語実地研修旅行の顛末、そして「旅は心を和ませる」では、ご夫婦と息子との、それぞれの家族確認のドイツ旅行の作品です。息子を主人公に書かれた随筆でしょう。父親をスーパーマンに思うのは幸いですし、高校生になって英語嫌いになるのも、言ってみれば父からの独立心の現われで、それを無難に解決されたのも幸いなことです。最後の息子の結婚話は、妻と息子の意志に作者が同意していくエピソードですが、夫・妻・子供の関係において、誰が突出しているわけでもなく、円球をなしているのが、いかにも戦後民主主義の幸福な家庭を彷彿とさせ、ほほえましいです。ユーモアがたくさんあるのに、スッと通り過ぎてしまう点は、ちょっと残念ですね。もっと活用されたら……。

ファッションショー

 へんなことですが、冒頭の「母親となり十四年が過ぎた」の文章にやけに感動しました。母親であることと、娘の年齢が、当り前のことですが、永遠に一緒なのだということに対してです。そのように感じた後では、「十月最後の日曜日」も意味深に思われます。十月(とつき)とは、身ごもりの期間で、精神的な巣立ちみたいなものを十四歳に設定した作品なのかもしれません。いよいよ巣立ち、それが「最後の」にかかっているように感じます。母親と娘のよくある出来事、日常が展開されているでしょう。そこにある時代の溝みたいなものを「ファッションショー」にうまく仮託して構成してあります。仲間内で催していた母親世代と、ネットを通して催す娘の世代、その世界の広がりは異なっても、生きる「人」の意識にはなんら違いはありません。そのことに母親は気付き、また読者も気付かせられるのです。淡々とした展開に好感もすれば、あざとさをもう少しという気持ちも出てきます。

もの言わぬ間の隠し芸

 作者の変身ぶりに脱帽です。新しい文体を身につけると、新しい世界が開けてきます。冒頭の五行目にある「遠くの景色が揺れて後ずさりしながら、車窓のガラス越しに二人を見守る」は、世界の重層的な構造を見事に表現しているでしょう。しかも、どこか抒情的でもあるのです。主語の「景色」は、電車の中から見える遠い景色(空間)でもあれば、二人の関係した「韓国語講座」(時間)での色々でもあるでしょう。それらの関係性が、現在の二人を包んでいるのです。韓国語講座と朝鮮語講座、日本人からすると同じに見えますが、言葉には思想がありますから、途轍もなく深い意味を含んでいます。その深みの混沌に意識をさ迷わせている時に、一人の青年と美代子さんの間で交わされた手話、まるで手品のようなひと時を描いた作品です。複雑な世界を表現するために掴み取った文体、作者が表現するということを実感された作品なのではないでしようか。

西中学校剣道部万々歳

 小説ではないものを書こうと、常々工夫しているのですが、その中でもこの作品は異質な心持で書きました。ほんとうに小説ではなく、単に事実だけを書いたような気分だけが残りました。泥棒をしたこと、中学校生になったら不良になろうと思っていたこと、これは事実なのです。もっとも、露悪趣味で書いたわけではありません。泥棒について言えば、罪と罰の問題があります。罰を受けるのは当然なのですが、罪の意識となると一筋縄ではいきません。番長志願の失敗は、なんとなくわかります。幸いなことに、資質がなかったということでしょう。知恵遅れのように小学校に入学し、優等生として中学校を卒業した義務教育期間は、剣道のおかげだと思っております。ちなみに、剣道の駆け引きのところは、二年生の秋になってから会得した感覚で、一年生では無理です。主観が入ってしまっているために、小説としての出来がどうかわかりません。作品って、そういうものかも……。