2013年3月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:3月17日(日)
  • 例会出席者:8名

夏物語

 冬という言葉の持つ意味と夏という言葉の意味を剥ぎ取ったならば……。「その冬でいちばん寒い日だったわ」の、その冬の寒さのために身体をギュッと縮めたならば、己の身体と縮まった身体の間にほんのわずかな透き間ができて、外の身体は冬、内の身体は夏に……。雪の白、雪の溶けた黒、夏のオレンジ。読者は勝手なものだから、勝手はイメージに遊ぶと、これは東日本大震災、福島原発事故のことではないかと思ったりします。雪や津波の白白白白白に、津波に呑まれた街の黒黒黒黒黒、メルトダウンの熱はオレンジ・オレンジ・オレンジ。裸体の中野さん、中野さんにかかわるカメラマン・あるいはカメラウーマン、覗き見る私。白も黒もオレンジも単なる色彩に還元されて、「マンションの廊下やエレベーターで会って、ふつうに挨拶しているわ」と、中野さんも私も日常の「民」に矛盾もなくすべりこむのです。「私」の女言葉「…だわ」は、キッチュ的雰囲気、まさに異世界を物語ります。

やまんば

 ちょっと面白いお話、といった感じの作品です。「やまんば」とか「雪女」は数多く二次的作品に活用されていて、この作品もその一つになります。二つのお話とも、新潟と長野の県境の伝説らしいのですが、詳しくは知りません。昔話の系譜を引き教訓的な内容であるのは一緒なのですが、展開がいかにも現代的になっています。いわば、乾いていて、恐いと思わせる情念の共有する糊代が少ないのです。テレビ、絵本、夢と、あちら側の世界を援用し、気がつくと智恵子は炎に包まれてしまうのです。自己中心的な智恵子が息子に殺された、と読んだらよいのかどうか悩むところです。「ひさし振りの滞在」とありますが、嫌な母親だけの関係ならば来なければよいのです。それをあえて来ているのですから、「母殺し」は意図されたものなのかもしれません。「やまんば」のタイトルのもと、現代ではやまんばもうかうかできない時代の啓示作品なのかも。

買いに煙草を行く

 読んでいただいてたいへん感謝しております。作品とはまったく別のことを書きます。朝日新聞の白石彰彦氏の記事に、言語学者である角田太作氏の展開する「人魚構文」なるものが紹介されていました。人魚構文とは、「上半身が人で下半身が魚の人魚のように、種類の異なるものがくっついて一つになる文」とのことです。例文に「太郎は明日、大阪に行く予定です」が挙げられていました。「太郎は人間なのに『太郎は予定です』と表現するのは意味の点でおかしい。文の構造も変わっている。/前半は『太郎は行く』という、動詞が述語の動詞述語文で、後半は『予定です』という、『名詞+です』の名詞述語文。こんな人魚のような構造の文は、たとえば英語では成り立たない」。こうした表現に角田氏が人魚構文と名づけたのだそうです。類似の構文が見られるのは日本以外に、アイヌ語、朝鮮語、中国語、モンゴル語、サハ語(シベリア)、ビルマ語、ネワール語(ネパール)、タガログ語(フィリピン)、ヒンディー語(インド)など約20の言語に及ぶそうです。面白いですね。

土びん蒸しが来たよ

 タイトルが活きた作品になっています。上司と部下との仕事を離れた差しつ差されつの情景は、妙に色っぽいものです。言ってみれば、女子高生と先生の関係に20年くらいを加算したようなものでしょうか。部長の「おっ、鳴海君、土瓶蒸しが来たよ」の一言、恵子の「向かい合わせの部長と私に、一つずつあるんですね」の一言は、まずは場の線引きであり、「一つずつ」は別々であることの強調、それに反して「向かい合わせ」は一緒であることの強調です。つまり戦いはこれからとばかり盛り上がるしかありません。前半の部長の攻めに対して、後半は恵子が攻めに転じます。「私のコトブキも『いつ』とはお約束できませんが」と部長を凌駕して恵子は、鰹のたたきを注文するのです。部長をまな板に載せ料理しますよ、と強がった甘えの披露でしょうか。「他界した景子と……」の述懐はどうなのか、一応、作中の土瓶蒸しのぐい飲みにて三々九度らしきものも済ませており、まずは「上出来」の運びです。

弾けた怪談

 一つの作品としては面白い構成になっています。もっとも、それが作者のサービス精神からのものだと明かされ、納得もいたしました。最初の振り込め詐欺に関しては実体験をもとにした創作、次のルームシェアの部分は完全な創作なのだそうです。両方の部分とも三人称で書かれていますが、やはり、なんとなく彫りの深さに濃淡を感じます。振り込め詐欺においては、人物が彫像のように立っているのです。よって、人物同士のやり取りにより世界がつくられていく感じの躍動感があります。ルームシェアの方は、幾分、解説風なところが見受けられ、作者が一生懸命に書いている姿が浮んでくるようです。もっとも、どちらかと言えば、作者にお勧めするのは後者のルームシェアみたいな作品です。これはまだ未知の領域なのかもしれませんが、作者はすでに表現する力を持っているのです。こうした新分野に進出されてもよいのではないかと思います。作者の文章力は、確かです。

生きる

 「生きる」という大きなテーマとなっています。作者はこのテーマを食生活から説いているのですが、読者からは賛成するところもあり、首を傾げる点も散見されたりもします。なぜなのか考えてみましたら、「生きるために個人的にこんな努力をしています」といった書き方をするのではなく、個人のテーブルを全体のテーブルに拡大して「論じる」風に「主張」されているからです。「こんな風にしたら」健康によい結果を得られるとしても、その方法が経済的にとてつもなく費用のかかるものだとしたら、絵に描いた餅になってしまいます。けっこうしんどいところで人間は生きているのであって、様々です。「大きな生きる」でなく、作者に添った「個人的な営みとしての生きる」を書かれてみたらいかがでしょうか。まちがったことを書いても、その方が説得力を持つと思います。作者の知識の広範さには敬服します。よくよく考えると世界は複雑です。鋭いメスを入れて行ってください。

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