2012年11月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:11月18日(日)
  • 例会出席者:9名

サボール・ア・ミ

 一話文といいますか、僕の伝言ゲームみたいな語りが一息でなされ、それでもって作品としています。それとともに内省語会話と理解しました。「サボール・ア・ミ」とは、ルンバの一曲だそうです。つまり、大スターになった伯父さんが踊ったのはルンバなのです。ダンスなのですから、パートナーが必要です。では誰かですが、世界的な大スターなのですから、「世界中の貴方」がパートナーなのでしょう。心と心、魂と魂に響き合う一体化された魅了の瞬間が繰り広げられたのです。けれど、その実在の記憶は1年間を経て全ての人から消えてしまいました。伯父さんの記憶を僕は伝言ゲームの一番目として語ったのが、この作品でしょう。美しい肉体化された言語の在ったことを……。文章の句読点の打ち方を工夫し、ステップを踏ませるような文体は実験的試みです。語られていない言葉、「愛」を想起させられました。

スイマー夏子

 とても構成のうまい作品だと思いました。三人称の推移が巧みなのです。作品は三つのパートから成っています。冒頭の書き出しは純然たる三人称でありますが、その三人称が現した「波野夏子」が、するりと波野夏子の視点の「三人称」になり、二つ目のパートの夏子の回想へとつながっていきます。三つ目のパートでは再び波野夏子の視点に戻り、おもむろに夏子が話している生徒の視点に転換し、導入の時と同じ純然たる三人称になって結ばれています。視点の移動がありながら、混乱せずに読めるのは、構成の確かさがあるからです。それにしても、オリンピックを頂点としたスポーツの裏面を知って驚きました。単純にタイムと力の世界だと思っていたのに、どろどろしたものがあるのですね。最初の三行と最後の三行は、もしかすると一人称なのかもしれません。この点もさりげなく作品に重層性を与えていて好感しました。

国民国家の崩壊

 オキュパイ運動とアラブの春、ヘーゲルとフランス革命、前者はテレビ報道から、後者は私の回想として書き散らしてみました。特にヘーゲル哲学の「無論」に刺激されてのことです。とはいえ、この作品で書いてあるように、私は「大論理学」しか読んでなく、しかも何も理解はしておりません。ふいに「無論」=「国民主権」がひらめいたのです。すると青年であったヘーゲルがフランス革命にいかに衝撃を受けたかを実感することができました。ヘーゲルは観念論だと、マルクス主義の側からは批判されますが、論理展開は確かに観念論かもしれませんが、無論にある哲学は「人間の根源の体感」なのだと。……言葉を使い古さないためにも書いた作品です。

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