毎月、会長が報告して下さる例会報告です。
今回の「映画日記」を読んでいて感じたのは、今期の上映された映画は少々不作だったのかな、という印象でした。そうした中で注目されたのは、やはり、亡くなられた新藤兼人についてです。100歳の長寿であったこと、たえず映画のことを考えていたということ、また、この作品「一枚のハガキ」について、様々な発言がありました。くじ引きで配属先を決める行為は、かなり民主的な行為だと思います。当時の軍隊で実際にこのような決め方があったということは、異例だったのではないでしょうか。冥福をお祈りします。「マイブリッジの糸」は星印三つで、評価が低すぎるように感じました。映画発明の元になったものを題材にしているのですから、もっと熱く論じられてもよいと思ったしだいです。「映画日記」は短いコメントと記録で書かれていますが、ややストーリーを追いすぎるところがあり、全体の構造とか位置を、読んだだけではわからないとの意見がありました。記録短文の難しさです。
本人としては、かなりつっこんで書いたつもりですが、何人かの方から、『掟』が「世界最高の文学である」ことの理由について述べられていない、とのコメントが寄せられました。理由について書かれていないと言われても困ってしまいます。「これこれこうです」といった記述をするのではなく、理由そのものをこの作品にて私は論じているつもりです。「存在と時間」「掟と人間」「言葉と言語」これだけの内容を、わずか原稿用紙四枚に構築しているのでから、驚異的な作品と言わざるをえません。ゆえに「世界最高の文学である」と主張しているのです。それぞれの方の「カフカ」論や「掟」論があると思います。ぜひ反論として述べていただきたいと願っています。もちろん、多くの方は「カフカ」にそれほどの興味を持たないと思います。なにしろ、とてもマイナーなのですから……。いづれにしても、読んでいただいた方には感謝です。
まず、動機が面白いです。「芥川賞受賞記者会見をテレビニュースで見て、買うつもりもなかった文藝春秋を買った」とあります。「共食い」「道化師の蝶」が主役なのですが、この感想文はその範囲を超えて、出版のシステムや、一般の読者「層」というものにまで思いを及ぼすところがあります。さて「共食い」です。作品に書かれている要素を的確に捉えていて、読みの確かさが窺えます。作者の技巧の見事さも見抜き、芥川賞に相応しい作品であると認めています。一転して、「道化師の蝶」に関しては手厳しい書評です。「むつかしい学術書」のようだと述べています。言葉にならないで消えてしまう発想を捕虫網で捕らえる、という荒唐無稽のお話で、安部公房とか、構造主義的な組み立て方が、作品を難しくしているでしょう。「共食い」「道化師の蝶」と、作者が真剣に読んだという意気込みが伝わってくる、芥川賞作品の感想であると思いました。幅広い文学作品に接しようという、作者の姿勢が頼もしいです。
とてもよい作品です。構成の整った小説になっています。祥子と真理雄、桜子と翼の母子関係が「いじめ」を通して書かれています。そのバランスが主観に流れず、よいのです。学校での「いじめ」は、ほとんどの場合、社会的な背景を伴っています。この作品のように地元の有力者の子供が、毛色の変わった新住民の子供を「いじめる」ということは、よくあることでしょう。それを運動会を題材に書いてます。二年生の時の運動会を回想し、六年生になった運動会の顛末を記すのです。着順、勝ち負けに一喜一憂する様は、わかりやすいでしょう。作品には空白の4年間があり、幸男君の存在と、真理雄の成績がよく将棋が強い、ということが諸々の事情に変化を来しているのです。この変化を、桜子・翼の母子は目の当たりにするのですが、作者は、その桜子親子に情を寄せるところもあり、後味をよくしています。作者と作品、内面と外面といった自在な書き方にまでは至っておりませんが、作品の独立性の点で、作者は「何か」をこの作品にて得たのではないでしょうか。きっと、小説を書くことが楽しくなったのだと思います。
対称性と相対性において、限りなく遠ざかり「人見知り」する作品だと、思いました。十四年前の記憶、そして現在、すると再びというのか、記憶の十四年後が現われ、すべてはトランプ・ゲームに集約されて終わるのです。二つのエレベーターに釦は一つ、がミソです。十四年前にしても十四年後にしても、エレベーターは同時に動き、男女がそれぞれに乗っています。かつては「上」に、現在は「下」に。男女の対称性も、言ってみれば「上・下」の相違となんら変わりのないもので、それが「右・左」に倒置されているだけなのです。この作品には主語が出てきませんが、十四年前の「私」は「男」で、十四年後の「私」は「女」ととると、すべてが質量を持たない素粒子になったかのようで、うまくまとまります。シュールな作品でわからなかった、というのが大半の意見でした。抽象的だけれど、そこに情が付加されているのが、作者の特質なのだと、私はいつも感じています。「人見知り」って、ご自分につけられたタイトルなのでは?
今回のパートは、鳥飼登がオランダ商館長マクシミリアン・ル・メールに会い、長崎奉行である榊原職直に引き合わせてほしい、と嘆願することがメインになっています。格別の事件も起こらず、描写を楽しむ章なのかもしれません。マクシミリアン・ル・メールや東インド会社の来歴、ポルトガルとオランダとの違い、一ヵ月後の商館長の交替、ワァフルと紋章、などなど。ポルトガルの船の乗組員63名が処刑された事件は、すんなり書かれていますが、大事件だったのではないでしょうか。それほどに幕府は鎖国政策に自信を持っていたのか。それから、登はカピタンに会うに際し、通詞としての不安があったのに、すんなり会話を交わしていることに少し違和感を持ちました。もっと言葉が通じる感動があってもよいと思います。この章に至っても、登は通詞なのか料理人なのか定まらないことに、展開が停滞している、と感じられる方が多くいました。布石なのかどうか、いろいろな傍流的な記述が多いとの意見もありました。連載なのですから、四章、五章と楽しみにしています。