2012年6月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:6月17日(日)
  • 例会出席者:8名

魔法の杖

 子供の頃のことです。家に榎の木がありまして、枝が頃合いの高さから出ていました。枝の付け根に瘤のあるのを見てとりました。瘤は年々大きくなるようでした。ある時「おばやん」が「父ちゃん」に、杖を作ってくれと頼んだのです。「父ちゃん」は迷わず榎の傍に行き、私が気にとめていたその枝を切り落としたのです。皮をむき、藁を燃やし、榎の枝を燻しました。黒く焼けた枝に、見ると、注連縄のような線が浮いていました。注連縄は、蛇が絡まっているような形をしています。雌雄の蛇の絡まりは多産、つまり豊作を願ってのことだと、「父ちゃん」から聞いて知っていました。「おばやん」の杖は、多産・豊作の杖で、魔法の杖に見えました。
 という訳で「魔法の杖」なのですが、いかにも10行では表現できるものではありません。「魔法の杖」は、思い出せば、色んなことを私に仕出かしてくれたものです。懐かしい記憶です

狐の化身

 浮世の混沌を、民話という誰にでも「わかる」説話で綴った作品だと思いました。飛びきりの美人を嫁にして、人生(?)の絶頂期を迎え、しかも酒も入ったとなれば、ぼろ(本性)が出るのもいたしかたのないことです。実は、その「ぼろ」も含めて理解しあうことが必要なのではないかと、この作品では指摘しているのです。本音と建前がありまして、なかなか人は本音を言わないものです。人がそうなのですから、人のつくる組織だとか団体、グループ、様々なところで「化かすとか化かされる」のゲームは展開されています。国においてもそうだし、世界においても同様です。うっかりしていると、結末にある職人のように大きな罠にかかってしまい、大事な命まで奪われてしまうかもしれないのです。おそらく、インターネットの現在の世界は、「狐に化かされた」程度をはるかに超える、こわーい時代なのかもしれません。用心々々。

それぞれの役割

 作品は、「2011年3月11日14時46分の少し前」から書き出されている、東日本大震災と福島原発事故に関する、作者の「それぞれの役割」なのです。時系列に沿った記述になっており、その点は分かり易いのですが、「日付け」と「記事情報」との構成の仕方において一部混乱が見られ、一考の余地はあるかもしれません。まあ、そのような混乱も、作者が自分の「役割」を果たそうとするあまりの混乱なのだとするならば、この作品自体が現実的で臨場感のあるものだということです。9月19日の「さよなら原発5万人集会」には、目標の5万人をはるかに超えた9万人が集まったと聞いています。これほど大きなデモは60年安保以来のことです。それなのに、新聞・テレビは無視するような状態で、異常だとしか思われません。原発に反対するにしても、賛成するにしても、大いに議論すべきでしょう。作者の情熱が伝わってくる作品でした。

札差稔之助

 商人の息子が侍になり、その侍を捨てて商人に戻り、札差の養子に入り、故あって女郎になった娘を身請けし、結婚する、といった、かなり波乱万丈の人生を描いた作品です。なんと言っても、稔之助が魅力的です。子供の頃から華奢に育ったが、侍の原田家に養子に入り、武士であるから剣術は知らなくてはならないと、たまたま道場に入門したら、なかなかの素質を発揮します。「相手の剣を流して、下から上に逆に斬り上げる」といった対応型の太刀捌きは、その後の稔之助の人格形成と一にするものでしょう。作者はどうやら稔之助に惚れ込んでしまったように見受けられます。とにかく稔之助を描きたい、その一心で、周りのことを幾分省略しすぎてしまったように感じます。女物の着物を着て売り歩く稔之助の、その口上や、女衆とどんな会話をしたのか、といった描写があるとよいと思いました。奥底に、「江戸の大義」を感じさせる作品ですね

啄木雑感…「啄木と盆踊り」

 これまでの作者の啄木観と異なった作品のように感じました。和解とか邂逅とかいった香りがするのです。大雑把に述べれば、二つの盆踊りのことが書かれています。「明治四十年八月二十五日の函館大火の夜」と「明治四十一年八月二十日の本妙寺境内の暗がり」でのことです。函館大火の夜の盆踊りに関して、作者は色々な資料にあたり、その真偽をたしかめています。確かめながら、啄木の日記に真を見出しています。そこには革命家・啄木が浮かび上がってきます。古いものを燃やし新しいものをつくるのだという精神が、です。折り返しとしての本妙寺境内の暗がりでの盆踊りは、前年の函館大火は古い時代を燃やした以上に、啄木の人生そのものを燃やしてしまったのだという思いなのではないでしょうか。そのことに対する盆供養・盆踊りだったのではないかと。「踊り」というものは、肉体で表現する「詩」であります。

挑む叛兵衛 天に愁風 地に睲雨

「挑む叛兵衛」シリーズとしては、異例の長編です。これまでは一話完結していたのですが、今回は二度目にて、三度あるいは四度目と続くのでしょう。武芸者の「斬り合い」から、武士の生き様みたいなものに描写の焦点を移してきていると感じました。たいへん面白いです。作者の表現の主点が変わったのと共に、もしかすると、現在で言えば、北区とか板橋区、文京区あたりの、土地の持つエネルギーがうねりとなって作者を突き動かしているのかもしれません。ドンキ・ホーテではありまんが、叛兵衛はかなりぶきっちょです。これほど武士道というものに執着する侍は、江戸の末期ともなれば希少価値でありましょう。だからこその「挑む叛兵衛」なのだと思います。さて物語は、比留間新八という新手の登場となりました。また、源馬の切腹と急展開があります。時代がのうのうとしていても、そこに生きる者の必死のあがき、次回が待たれます。

『たけくらべ』幻想

 面白い小説表現です。「新境地の開拓を期して書き始めた歴史小説」に行き詰った作家が、霧の夜にぶらりと町に出た、と書き出されます。知っているような知らない町、どこか見たことあるような「活字狂い」の女。私の好みも女は知っている。私は『樋口一葉作品集』を持たされ、押し返されます。そこでこの小説は一旦、『たけくらべ』評論へと霧の中に入るのです。信如と美登利の叶わぬ初恋が、黒(僧)と赤(女)に象徴され解き明かされていきます。作者である樋口一葉の作家論へも及びます。再び霧の夜がきて、私は本を返しに行くのです。ところが二三日して書籍棚が崩れてしまのですが、そこに私は古釘に刺さった『樋口一葉作品集』を発見するのです。その本は、三十年前に初恋の女性に貰ったものであることを思い出します。霧の向こう側とこちら側、そのパイプが突如として通じたのです。こんな風にも綺談小説として書けるのだと、感心しました。

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