2026年7月の例会報告

毎月、会長が報告して下さる例会報告です。

  • 日時:7月19日(日)
  • 例会出席者:6名

戦え、ジャングル

「戦え、ジャングル」という、ちょっと変わったタイトルで、変わった作品なのだなぁと読み進めていきましたが、なるほど、思っていたよりも変わった作品なので感心しました。タイトルの「戦え/ジャングル」が、もしかすると、この作品の本質をなしているのかなと、考えさせられました。「戦え/ジャングル」のタイトルは、タイトルなのですが、「戦え」と「ジャングル」を別個の空間に独立させてしまい、そうした上で、戦えはジャングルを見つめ、ジャングルは戦う意志を持つ、…そうした日々の意識の外にある、隠された物語の表れの一コマなのかも知れません。

山は

山は、と提示して、一連目で浅間山を描写して、二連目では山に住まう者たちの頑張りを称え、地球のまわりを包んでくれている星々に、その感謝の気持ちを伝えたところの、4行、5行、7行からなる作品です。ありがとう、という気持が山びこのように心に伝わってきます。

孫へ

お孫さんと、お孫さんにとっては祖母、その両者の形が率直に書かれている作品ですね。赤ちゃんの頃の泣き声、年頃になった時の隠し涙。母親としては、当たり前のことしか言えないけれど、がんばって、と微笑みかけることだけで精一杯なのかもしません。お孫さんも、祖母の気持をわかっていたのかもしれませんね。

人類と石器 第一話

人類と石器の関係は、考えようによっては、途轍もなく奥が深い。「奥が深い」と述べてしまうと、人類の一本道のように捉えられてしまうかもしれない。けれど、そうではなくて、人間も動物も、多種多様なところで関わり合い、または助け合わなくては、お互いが生き延びるということができなかったのだ。この頃、すでに、人間は黒曜石という利便な道具と巡り合い、生活の中に潤いを持たせてくれた。この作品は3章からなり、その1章・2章.3章と、そんなにうまくいくものかと思うほど、「巧みに先祖は進化し」この後の「子達」に道を示したのです。

アジサイ

アジサイを漢字で書くなら「紫陽花」と書くのかな、とぼんやりと考えます。植物の豊富な描写に接しますと、自ずと作者の自宅の、まだ若かりしあの頃の記憶が甦って来て、紫陽花→味祭→あじさいとなり、とても懐かしい気持ちになります。今回、教えられたのは、ガクアジサイとヤマアジサイの二種があるということを教えられ、その他にもあるのだろうかと思いつつ、馴染みの庭の紫陽花を頭に浮かべつつ、人間と紫陽花と季節、その交わりを思い浮かべました。梅琴さんの家には、池があり、歌壇があり、野菜畑があり、竹林もあり、手入れの行き届いた庭でした。

募金 3

作品を読んで行くと、『募金』の意味が分かってくるだろうと、読み進めましたが、『募金 3』まで読んでも、その意味のようなものの形がわかりません。もしかして『貯金』なら当事者が居るのでしょうが、『募金』を出す人たちの向こうに、こちら側かもしれません、多様な人たちとの繋がりがあり、幸いに助かる人たちがいるってことかもしれません。募金をする人、募金を受け取る人、その物語を包む社会の描写なのでしょう。汚れた金があるのと同時に、幸を授けるお金もあるという、運、不運の事象に貴方は、ご自分の心の構えを如何に、といった提示なのかも。

関数業田奈緒(自分)→

ちんぷんかんぷんな作品です。数学の苦手なわたしは関数というものを知りません。もちろん、この作品を通して業田菜緒を業田→奈緒と知ったばかりで、業田奈緒になる「権利」が与えられたから、業田奈緒になれといわれても、わたしが業田奈緒ではないのです。ですが、です。業田奈緒になる権利が与えられたというなら、その権利が無料でいただけるということで、無碍におことわりをすることもなく、わたしが業田奈緒にすんなりなれれば、おたがいにめでたし、めでたし、です。最後になって、「受付の女が、業田奈緒現れるのを」待っている。無と有の交限りない交錯です。

男の一生

すごく難しい作品でした。三回読んだのですけれど、三回読んでも、頭の中で作品の筋道を理解することができず、しようと思っても、よくは、わからないのです。Aということが分かって、Bということもなんとく、そしてCに行った時、AもBも、お話の骨格がよくわからなくなってしまうのです。たぶん、というか、おそらく、文学的な作品構造の三段跳びがなされているのかも。そこで、ついつい、ポカーンとしていると、なんだかわからなかったものが、分かった気持ちになり、それはなんとなく「男のがまん」風な感じがして、おれも男、「おれは男だ」と自分を正します。